こんちは❗
最近さすらい近郊の
ブログ記事で
「生きるとは❓」
というテーマ記事を
散見します
人間の根本に関わるテーマで
大変重要なことなので
さすらいも漠然とですが
昔から考えてました。
考えて無いようで考えてる。
本日は久々秋の夜長に
このテーマでうんちく記事を
書いてみようと思います。
そもそもさすらいは
生まれたくて🤱
この世に生まれてきた
訳では無いし
死にたくてあの世に死んでいく
訳でもない。😇
始まりと終わりと途中までもが
何かに司どられている。
でも生まれてきた限りは
死ぬまで出来る限り
「生きてきて良かった❗」🤗
と生きる喜びを感じながら
心を良好に保ち続けたい。
自身に絶望しながら
生きたくはない。
ではどーしたら
「生きてきて良かった❗」
と思えるのか❓
これを昔からずっと考えていた。
そしてさすらいが出した答えは
その為には「自身の存在意義」
を実感し続ける事かも
しれないと考えた。
人間の心というのは
他人や社会の役に立つ事により
「自身の存在意義」
を実感して真の喜びを感じる
構造になってるのでなは
ないのか❓🤔
うまい飯食ってるだけでは
「生きてきて良かった❗」
とは思わないと想う。
ウマイとは思うけど❗😋
つまり真の喜びを実感しながら
(自身の存在意義)
食わないといけない❗😋
旅もしかり❗
哲学者安岡正篤の言葉に
一燈照隅
萬燈遍照
いっとうしょうぐうまんとうへんしょう
がある。
この言葉が「生きる」本質を
率直に表していると思う。
この言葉の意味は
一人一人が自分の居場所
一隅だけど小さく
ささやかに暖かく照らす。
そんな人々がたくさん集まり
「大光明」となす。
そしてさすらいが古家稼業に
拘る理由もここにある。
使われなくなり傾いた
「夢の跡」🏚に
再び生命の息吹を吹き込み
再生する。🏠
空き家問題の改善にもなるし
街も綺麗になる。
そして再生した「夢の跡」で
再び新しい夢が始まる。
この仕事から自身の存在意義を
強く感じてきたからこそ
ここまで頑張れたのだと思う💦
銭💷👌の為や
自己の承認欲求を満たす為
うまい飯食う為😋🍖だけで
ここまではやれないヨ❗🙅
それらはすべて
自身の存在意義プラスαの
要素なんです。
今後もこれまでのペースでは
いかないけど身体が続く限り
灯火でも良いので灯し続けて
いこうと思う。🤗
オマケ❗
21歳の愛猫クー😸が
獣医師協会から
長寿表彰された。
1ヶ月に2、3度
死にかけるけどね〜😱💦
ところがどっこい簡単には
死なせないヨ❗
猫😸再生も極めてやる❗
猫😺も存在意義とか
考えるんかね❓
知らんけど❓
おわり