※学部生の時に書いたレポートです。

 

 

太宰治「地球図」における〈喜劇性〉

 

 

一  はじめに

 

 本論で論ずる太宰治の「地球図」は、その典拠と考えられる新井白石の『西洋紀聞』や山本秀煌の『江戸切支丹屋敷の史蹟』と比べて、その〈悲劇性〉がより前景化されていると考えられてきた。しかし本論では、そういった〈悲劇性〉だけでなく、そこから生じる〈喜劇性〉までもが描かれているということに着目したい。『晩年』収録時には削除されてしまった発表当初の序文には、「われら血まなこの態になれば、彼等いよいよ笑ひさざめき、才子よ、化け物よ、もしくはピエロよ、と呼称す。人は、けつして人を嘲ふべきものではないのだけれど。」(1)という一節があるが、「嘲ふべきものではない」と言いつつ、あるいはこのような警句を述べておいてあえて読者を試すかのように、「地球図」でのシロオテは明らかに「笑える」ものとして描かれている。しかもそこには、単に典拠からそのまま受け継いだのではない、積極的な強調が見受けられる。「地球図」における〈喜劇性〉とはどのようなものか、そしてそれが示唆するものとは何か、これを浮き彫りにしていくのが本論の狙いである。なお、「地球図」のテクストは新潮文庫の『晩年』から引用し、ページ数だけを表記した。

 

 

二  「地球図」における〈喜劇性〉

 

 「地球図」のシロオテが藤兵衛と遭遇する場面では、シロオテは「かなしい眼をして立ていた」(一〇四頁)と語られているが、この「かなしい眼」は「地球図」の〈悲劇性〉を象徴するものとして論じられてきた。例えば山内祥史は、「地球図」の典拠だと考えられる新井白石の『西洋記聞』および山本秀煌の『江戸切支丹屋敷の史蹟』には「かなしい眼をして立っていた」にあたる記述が見られないことを指摘し、その「眼」が持つ「かなしみ」は、「「不安のただなかで単独化したかなしみ」「孤立のかなしみ」であって、「他との繋がりの消滅」という、危機的な状況を示している」と述べている(2)。安藤宏によれば、「かなしみ」が示唆するのは殉教というよりも周りの人間との「コミュニケーション」が上手く取れないことの〈悲劇性〉であり、『晩年』全体のテーマである現実や日常との行き違いに関連しているという(3)。「地球図」では、事前に習得してきた日本語が通じず、「言葉」の面で苦労するシロオテの様子が幾度となく描かれ、その際には、「むなしい」(一〇六頁)「ひどくあせっているふうであったが、白石はなぜか聞こえぬふりをするのである」(一〇九頁〜一一〇頁)などいった、典拠にはない〈悲劇性〉を表す表現が付け加えられる。そうすることで、「かなしい眼」によって予感されていた〈悲劇性〉、とりわけ「コミュニケーションの悲劇」が、典拠よりも前景化されて描かれているのである。

 確かにこのような〈悲劇性〉はこの作品の基調をなしていると言えるが、しかしこの作品で描かれているのは本当にその〈悲劇性〉だけだろうか。以下「かなしい眼をして立っていた」に続く、シロオテが藤兵衛と意思疎通を図る場面を検討していくが、比較のため典拠である『西洋紀聞』および『江戸切支丹屋敷の史蹟』、さらには同時代に同じ題材を扱った坂口安吾の「イノチガケ」の該当箇所も引用する。

 

 シロオテは片手をあげて①おいでおいでをしつつ、デキショナアリヨムで覚えた日本の言葉を二つ三つ歌った。しかし、それは不思議な言葉であった。デキショナアリヨムが不完全だったのである。藤兵衛は②幾度となく首を振って考えた。言葉より動作が役に立った。シロオテは両手で水を掬って呑む真似を、④烈しく繰り返した。藤兵衛は持ち合わせの器に水を汲んで、草原の上にさし置き、いそいで後ずさりした。シロオテはその水を一息に呑んでしまって、また⑤おいでおいでをした。(一〇五頁。傍線と番号は論者によるもので、下記の引用においても同じである。)

 

 この日、かの島の戀泊といふ村の人(藤兵衛と云ふ百姓なり)炭、燒かむ料に、松下といふ所に行きて木を伐るに、うしろの方にして人の聲したりけるを、かへり見るに、刀、帯たるものゝ、手して招く一人あり。その云ふところの言葉も聞きわかつべからず。水を乞ふさまをしければ、器に水汲みてさし置く、ちかづき吞みて、また、招きしかど、その人、刀を帶たれば、おそれて近づかず。(日本名著大系『南蛮紀聞選』所収「西洋紀聞」(聚芳閣、大15・2)二一頁)

 

 「私は去る八月二十九日戀泊村の松下と云ふ所へ炭燒きにまゐり木を伐って居ました折、ふと、うしろのかたに、人の聲したるを聞き、ふりかへり見ましたら、そこに、見馴れない人が、刀をさし手まねきしながら、何かわからんことを咄して居ましたが、その言葉はちつとも聞きわくることが出來ませんでしたし、何んだか怪しいと見受けましたから、側へも寄り付かないで見合せて居ましたが、異人はまたも手まねぎして、水ほしき様をいたしましたから、私の持ち合わせの器に水を入れて與へおき、直ぐにうしろへ立ち退きました。すると異人復々手まねぎしましたが、何分、先方は刀を帶して居ますので、險呑と思つて寄付きませんでしたところが、異人はそれとさとつたものか、帶して居た刀を鞘と共に差出しました。」(山本秀煌『江戸切支丹屋敷の史蹟』(イデア書院、大正13・6)七二頁)

 

 この島の恋泊といふ村に藤兵衛といふ農夫があつたが、松下といふ所へ行つて炭を焼く木を切つてゐると、うしろで人の声がした。ふり向いてみると、大刀を帯びた男が手招いてゐる。形はまさしく日本人で、さかやきを剃り、浅黄色の碁盤縞の木綿の着物をきて、二尺四寸程の刀を一本差しこんでゐるが、言葉が異様で通じない。水が欲しいといふ身振りをしてみせるので、藤兵衛は器物に水を汲んできて、これを地上において、自分はそこを立ち離れて男のすることを見まもつてゐると、男は器物を執りあげて水を飲みなほも手招きする。(坂口安吾『坂口安吾全集』03(筑摩書房、平11・3)一九九頁)

 

 まず「地球図」の傍線部①および⑤の「おいでおいで」に着目したい。この箇所は、『西洋紀聞』の傍線部「手して招く」「招きしかど」、『江戸切支丹屋敷の史蹟』の傍線部「手まねき」「手まねぎ」(4)、坂口安吾の「イノチガケ」傍線部「手招いてゐる」「手招き」にあたる。以上二つの典拠、さらには同時代の「イノチガケ」と比較してみると、「地球図」では「おいでおいで」という二人のコミュニケーションの稚拙さがより強調された表現に言い換えられていることが分かる。「かなしい眼」とは違い、典拠に無いものを付け加えたというわけではないが、「かなしい眼」がシロオテの〈悲劇性〉を前景化したように、「おいでおいで」もまた、他の三作品より滑稽さを強調する役割を持つ。

 傍線部②「幾度となく首を振って考えた。」と④「烈しく繰り返した」は、山内も指摘する通り太宰が付け加えたものであり(5)、また「イノチガケ」にも見られないため、太宰の独創性を窺わせる部分である。必死になって同じ動作を繰り返す二人を描くこれらの箇所も、「おいでおいで」と同じく、滑稽さを強調する役割を持つ。

 そしてこのようなシロオテの滑稽さは傍線部③「言葉より動作が役に立った」という一節に集約される。事前の日本語習得が全くの無駄であり、皮肉にもシロオテはジェスチャーという稚拙かつ滑稽な形で意思疎通を図らねばならないのである。後にも指摘することだが、この時のコミュニケーションは「動作」、ジェスチャー、すなわち〈身体性〉が強調されており、滑稽さはその〈身体性〉とも結びついている。

 これまで指摘してきた箇所全てが、二つの典拠や同時代の作品にはない付け加えあるいは言い換えであったこと、つまりそこには太宰の独創性が見受けられることから、「地球図」ではシロオテの滑稽さが意識的に強調されていると言えよう。つまり「地球図」では、〈コミュニケーション〉が成り立たないということの〈悲劇性〉に加えて、それでも何とか〈コミュニケーション〉を取ろうと必死になることの〈喜劇性〉も強調されているのである。

 

 

三 シロオテの矮小化

 

 このシロオテと藤兵衛が遭遇する場面について松本和也は、「文字言語によって学んだ「日本の言葉」は実際の役には立たず、むしろ「言葉より動作」、つまり文字言語よりも声=身体がコミュニケーションを可能にしていく」(6)と述べている。しかし、この場面に「声=身体」という等式を当てはめるのは適切ではない。この場面では、「文字言語よりも声=身体」ではなく、「声」よりも「身体」の方が役立っていると言う方が正確である。シロオテが発する「声」の方は、通じないどころか「不思議な」「あやしい」印象を与えるものであり、結果相手は「後ずさり」したり、「身をひるがえして逃げ」たりしてしまう(一〇五頁)。本来意思疎通のためのものであるはずの「声」が、ここでは逆に相手を遠ざけるために機能し、意思疎通を阻害してしまっている。その結果、「声」とは別の最終手段として「身体」が使われているのである。松本の等式では、「言葉」を「文字言語」に、「動作」を「声=身体」に対応させることになってしまうが、この場面では「言葉」は「声」に、「動作」は「身体」に対応しており、文字言語と「声」の両方を含めた「言葉」自体が、「身体」によって相対化されていると言えよう。

 ここで言う「言葉」とは、松本も指摘していることであるが、シロオテが「小冊子」や「書物」によって三年かけて「勉強」したものである(7)。「小冊子」、「書物」、「勉強」に象徴される知的で高尚な「言葉」の世界に生きていたシロオテは、そこで学んだ「言葉」を藤兵衛とのやり取りによって否定され、「身体」による稚拙で滑稽なコミュニケーションを余儀なくされる。加えて、一〇二から一〇三頁で語られる聖職者としてシロオテの経歴は、それを知らない藤兵衛に寄り添う語りによって一旦後景化し、シロオテは聖職者でも異人でもなくただの「奇態なもの」(一〇五頁)として提示し直される。『江戸切支丹屋敷の史蹟』や「イノチガケ」、さらに高木卓の「獄門片影」などがシロオテをあくまで偉大な聖職者、殉教者として位置付けているのに対し、「地球図」の藤兵衛とのやり取りでは、知的で高尚な「言葉」の世界から稚拙で滑稽な「身体」の世界へ、そしてそれとパラレルな形で聖職者から「奇態なもの」へとシロオテを移動させることで、その偉大さを捨象するとともに彼の人物像を矮小化する。先ほど述べた〈コミュニケーションの喜劇性〉は、シロオテの人物像を矮小化するものとして機能しているのである。

 このようなシロオテの矮小化は、作品冒頭の「ヨワン榎」のくだりにおいても見受けられる。ただしそこには、コミュニケーションの観点から検討できるような記述はなく、単純にシロオテの人物像のみが矮小化されていることに注意したい。以下「地球図」の冒頭部分に加えて、比較のため典拠である『江戸切支丹屋敷の史蹟』の該当箇所も引用する。

 

 ヨワン榎は伴天連ヨワン・バッティスタ・シロオテの墓標である。切支丹屋敷の裏門をくぐってすぐ右手にそれがあった。いまから二百年ほどむかしに、シロオテはこの切支丹屋敷の牢のなかで死んだ。彼のしかばねは、屋敷の庭の片隅にうずめられ、ひとりの風流な奉行がそこに一本の榎を植えた。榎は根を張り枝を広げた。としを経て大木になり、ヨワン榎とうたわれた。(一〇二頁)

 

  通航一覧といふ書に載せてある切支丹屋敷の圖を閱するに、その屋敷の裏門を入ると直ぐ右の方にヨハン榎と云ふ榎の大木がある。その左の方に長助、はる夫妻の墓がある。又その左に少しへだてゝ、八兵衛石と云ふ大石があるが、これは皆切支丹信者を葬つた所八兵衛石は高さ三尺」ばかりの石碑で、八兵衛と云ふ切支丹信者の墓であつたともいひ、又はためしぎりにされた囚人を埋めた所だとも云ふがくはしい事は不明である。又長助はる夫妻の墓は同人等を葬つた所である。此の二人はその親の罪により、幼少の時から官奴となり、長じて官命によつて夫婦となり、切支丹屋敷で伴天連等の召使にされて居たのであるが、それらの關係から、一生切支丹屋敷から出ることを許されなかった。とかうする中いつしか、伴天連等の感化を受けて切支丹信者となり、自首し出て牢死したものである。又 ヨハン榎は伴天連ヨハン、バプチスタ、シドナの屍を葬つた所で、そこに榎を植ゑて墓標としたのである。この榎は年を經て次第に生長し、根張り、枝しげり、欝蒼として天を劃し、ヨハン又はジユアン榎といつて記念樹となつて居たが、天明の頃伐り倒されて跡方もなく、今は尋ぬるよすがもないのである。併しながら、たとへヨハン榎はなくなつても、ヨハンその人の事蹟は、今日まで傳はり、切支丹殉教者の一人として尊敬されて居たのである。(山本秀煌『江戸切支丹屋敷の史蹟』六一頁)

 

 典拠である『江戸切支丹屋敷の史蹟』の方では、はじめに「ヨハン榎」について言及したあと、「長助、はる夫妻の墓」、さらに「切支丹信者を葬つた」あるいは「ためしぎりにされた囚人を埋めた」とされる「八兵衛石」について語られる。ここで登場する墓は〈悲劇的〉な死と結び付けられ、「ヨハン榎」もまたその〈悲劇〉の中に位置付けられる。そしてそれは、長助とはるの経歴に象徴される「切支丹」の〈悲劇〉である。最後には「ヨハン」が「切支丹殉教者の一人として尊敬されて居た」と述べられる。この箇所から浮かび上がってくるのは「尊敬」されるべき偉大な聖職者、「殉教者」としての「ヨハン」である。しかし、今挙げた記述は全て「地球図」の冒頭では採用されていない。すなわち、「ヨハン」を「切支丹」の悲劇的な死の中に位置付け、偉大な聖職者、「殉教者」として語る記述が、「地球図」では避けられているのである。同様のことが、『江戸切支丹屋敷の史蹟』の「天明の頃伐り倒されて跡方もなく、今は尋ぬるよすがもない」という記述が「地球図」では削除されていることにも当てはまる。

 『江戸切支丹屋敷の史蹟』の「伐り倒されて跡方もなく」という記述は「ヨハン榎」が〈存在した〉ことよりも〈今はもう存在しないもの〉であることに焦点を当てている。その後で、「たとへヨハン榎はなくなつても、ヨハンその人の事蹟は、今日まで傳はり」と述べている。〈今はもう存在しない〉「ヨワン榎」と、そうした有限な事物を超えて「傳は」る「ヨハン」を対置させることで、伝説的な英雄として語り継がれる「ヨハン」を印象付けているのである。

 〈今はもう存在しないもの〉として「ヨワン榎」は、「イノチガケ」でも似たような機能を持っている。「イノチガケ」で「ヨワン榎」は、「シローテの墓の上には榎が植ゑられ、ヨワン榎とよばれてゐたといふことだが、今はすでに跡片もない。」(8)と記される。『江戸切支丹屋敷の史蹟』と同様に、「ヨワン榎」が〈存在した〉ことよりも、〈今はもう存在していない〉ことの方が焦点化されている。「イノチガケ」の場合、「ヨワン榎」に象徴される「シローテ」を「亡き」ものにしたものへの非難、あるいは執筆当時シローテのような確固たる信念を持った人間が〈もう存在していない〉ことへの嘆きという、転向文学的な問題意識が反映されていると言えよう。

 しかし、「伐り倒され」たという情報が削除される「地球図」では、「ヨワン榎」は全く別の機能を持っている。『江戸切支丹屋敷の史蹟』や「イノチガケ」とは違って、「地球図」は「ヨワン榎」の〈不在〉ではなく、それが〈存在した〉こと、すなわち〈存在〉に焦点を当てる。『江戸切支丹屋敷の史蹟』のように「ヨワン榎」と「ヨハン」に見出される有限/無限のズレを使ったり、「イノチガケ」のようにその〈不在〉を難じるために使ったりするのではない。あくまでかつて〈存在した〉〈モノ〉としての「ヨワン榎」に焦点を当てることで、それが象徴するシロオテは、時代を超えた英雄という観念的な存在ではなく、個別具体的な人間として位置付けられる。言い換えれば、観念的な存在から、〈モノ〉に還元されるような個別具体的な人間へと矮小化されているのである。

 矮小化は他の表現にも見受けられる。山内も指摘している通り、「地球図」の「屋敷の庭の片隅にうずめられ」という記述は『江戸切支丹屋敷の史蹟』には見られないが(9)、この「庭」のなかでもさらに限定された「片隅」という記述は、その存在感の慎ましさを感じさせる。隔離施設の中でもさらに隔離された「切支丹屋敷の牢のなか」という記述や、『江戸切支丹屋敷の史蹟』の「根張り、枝しげり、欝蒼として天を劃し」という記述の内、「地球図」では「欝蒼として天を劃し」だけが除かれていることなども同じような効果を持つ。

 以上、「地球図」に見られるシロオテの矮小化について見てきたが、これによって『江戸切支丹屋敷の史蹟』が意図していたような「尊敬」されるような人物としてではなく、序文にあるような「ピエロ」としてのシロオテが浮かび上がってくる。では「ピエロ」としてのシロオテは「地球図」においてどのような意味を持つのか。

 再び「地球図」の「ヨワン榎」の箇所に戻り、『江戸切支丹屋敷の史蹟』には見られない「ひとりの風流な奉行が」というところに注目したい。この部分では、シロオテの「墓標」を設けた「奉行」のささやかな配慮を、「風流」だと言って積極的に評価している。松本が指摘する通り、この作品はある種の円環構造を持っており(10)、それはシロオテの死で始まり死で終わる円環であると言うことができる。このような構造によって、物語が終わると同時にどのような「墓標」を設けるかが読者に委ねられていると言えよう。そのため、冒頭の「ひとりの風流な奉行」とは、語り手が積極的に評価する、理想的な読者であると言うことができる。作品内にこのような理想的な読者を埋め込むということ、それは語り手あるいは作者の、読者に対するある願望を示唆しているのではないか。その願望とは、先ほどから指摘している矮小化表現からも分かるように、『江戸切支丹屋敷の史蹟』や「イノチガケ」、「獄門片影」が提示するような敬意の対象となる存在としてシロオテを位置付けることではないだろう。そうではなく、救い難い滑稽な「ピエロ」、しかしながら「庭の片隅にうずめられ」るような愛嬌のある存在として位置付けてほしい、そのような願望がこの作品には見え隠れしていると言える。

 

 

四  おわりに

 

 以上、太宰治の「地球図」を、典拠とされる新井白石の『西洋紀聞』や山本秀煌の『江戸切支丹屋敷の史蹟』、さらに同時代に同じ題材を扱った坂口安吾の「イノチガケ」などと比較し、先行研究がこれまで指摘してきた太宰の創作部分を〈喜劇性〉という観点から読み直した。この作品のシロオテを矮小化する様々な表現を追うことで、典拠や同時代作品が提示する敬意の対象としてのシロオテではなく、滑稽な存在である「ピエロ」としてのシロオテが浮かび上がってくる。無論太宰は自虐的にこの「ピエロ」という表現を使っているだろうが、同時に「ひとりの風流な奉行」のような理想的な読者を求めるような側面も見受けられる。安藤は、同じく『晩年』に収められている「ロマネスク」や「道化の華」が「”ナンセンス(無意味)”による日常的な”センス(意味)”への反逆、及びそれゆえの挫折こそその悲哀の本源としている」のに対し、「地球図」は同じように「コミュニケーションの悲劇」を扱ったのにも関わらず、「日常的な”センス(意味)”」に対して殉教という新たな「センス」をぶつけるのに終始していると指摘しているが(11)、ここでぶつけられている「センス」は殉教というよりも、むしろ現実や日常との行き違いを起こしてしまうシロオテあるいは太宰自身なのではないだろうか。「地球図」では、行き違いを起こしてしまう自分を、現実や日常性を覆す武器としてではなく、既存の現実や日常に住まう読者に愛すべき存在として認識させたいという願望が見え隠れしており、太宰、あるいは知識人全体のある精神状況を表象した重要な作品であると言える。

 

 

参考文献

 

太宰治『晩年』(新潮社、平29・11)

太宰治『太宰治全集』第一巻「地球図」(筑摩書房、平元・6)

日本名著大系『南蛮紀聞選』所収「西洋紀聞」(聚芳閣、大15・2)

山本秀煌『江戸切支丹屋敷の史蹟』(イデア書院、大正13・6)

坂口安吾『坂口安吾全集』03(筑摩書房、平11・3)

高木卓『獄門片影』(大日本雄弁会講談社、昭22・3)

山内祥史「『地球図』論」(「太宰治研究」1、和泉書院、平成6・6)

安藤宏「近代小説と寓意 : 太宰治「猿ケ島」「地球図」論」『上智大学国文学科紀要』(上智大学国文学科、平成9・3)

松本和也「不思議な暗号−"Sidotti 物語"と太宰治「地球図」」『昭和一〇年代の文学場を考える 新人・太宰治・戦争文学』(立教大学出版会、平27・3)

 

(1)太宰治『太宰治全集』第一巻「地球図」(筑摩書房、平元・6)七八頁

(2)山内祥史「『地球図』論」(「太宰治研究」1、和泉書院、平成6・6)七四頁−七六頁

(3)安藤宏「近代小説と寓意 : 太宰治「猿ケ島」「地球図」論」『上智大学国文学科紀要』(上智大学国文学科、平成9・3)一一三頁

(4)長くなるのでここには引用しなかったが、『江戸切支丹屋敷の史蹟』の六十三頁の方では「手真似」になっている。

(5)山内祥史「『地球図』論」七四−七五頁

(6)松本和也「不思議な暗号−"Sidotti 物語"と太宰治「地球図」」『昭和一〇年代の文学場を考える 新人・太宰治・戦争文学』(立教大学出版会、平27・3)七五頁

(7)松本は「まずシロオテは、三年かけて「日本の言葉と風俗」を「小冊子」と「書物」、つまりは"文字言語"によって学習したという。」と述べている。(同書七四頁)

(8)坂口安吾『坂口安吾全集 03』二一八頁

(9)山内祥史「『地球図』論」六六頁

(10)松本和也「不思議な暗号−"Sidotti 物語"と太宰治「地球図」」

(11)安藤宏「近代小説と寓意 : 太宰治「猿ケ島」「地球図」論」一三七頁

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

調べるのにかかった時間:★★★★★

書くのにかかった時間:・★★★★

自己評価:・★★★★

※五段階評価

 

 

今回扱った作品はこちら↓

 

 

晩年 (新潮文庫) 晩年 (新潮文庫)
562円
Amazon