※2019/01/22にnoteに投稿したものを再掲

 

 

 

江川卓訳『罪と罰』第一部読了。第二部読みかけ。

 

 わが身のため、わが身の安楽のためなら、いや、われとわが生命を救うためにでも、自分を売ったりはしないくせに、いざ他人のためとなると、こうして売ってしまうんだ。愛し、尊敬する人のためには売ってしまう!ほら、これが手品の種あかしさ、兄のため、母親のためなら売る!なんでもかんでも売ってしまうんだ!ああ、人間というやつは、こういう場合になると、自分の道義心さえ押し殺して、自由も、安らぎも、良心さえも、いっさいがっさい、古着市場へ持ちこむものなんだ。〈…〉この芝居のいちばんの主役は、まちがいなく、かく言うロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフなんだ。まあ、それもいいさ、彼を幸福にしてやることも、大学をつづけさせることも、法律事務所の共同経営者にしてやることも、生涯困らぬようにしてやることもできるんだからな。それに、ひょっとすれば、そのうちには大金持になって、名誉と尊敬を一身にあつめ、一流の名士として生涯を終えるかもしれない!だが、母さんは?なに、問題はロージャなのさ、だいじなだいじな総領息子のロージャ!こういう息子のためなら、あんな立派な娘を犠牲にしたって、悪かろうはずはないってわけさ!ああ、なんと愛すべき、まちがった心だろう!(ドストエフスキー著 江川卓訳『罪と罰』岩波書店 1999年 pp. 95-96)

 

 不遇と同じように、いや何も課せられないが故にそれ以上に、厚遇もまた過酷な運命となり得る。搾取された者としての被害者の他に、搾取者にさせられた者としての被害者が存在する。前者は寛容さを試されるが、後者は根本的な道徳的葛藤を強いられ、結果自らを超越的な悪として規定するに至る。

 

江川卓の訳読みやすい。『謎とき『罪と罰』』も期待。

 

『悪霊』とか『罪の罰』の語り手って一見するとポリフォニーにするためには少し不利なんじゃないかと思うがそうじゃないところが示唆的かも。

 

 

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