オリンピックが始まった

賛否両論あるのは
我も知っておる

オリンピックの元である
ギリシャのゼウスが
今回のオリンピックを見て
どう感じたか
少々
述べてみたい


オリンピック精神という
のがある
そのようなものが
消し去られている
それは
間違いないだろう


元は
戦争が終わり
体力気力を
持て余した者たちが
代わりになるようなもの
或いは
戦うならば
今でいうスポーツで
決着をつけよう
平和的に決着をつけよう

そういうことで
オリンピックを
我は考え出した

ゆえに
体力気力を使うものは
勿論だが
歌や踊りも
後々追加された
華やかなお祭りにまで
発展した

しかし
今回のオリンピックは
どうだろう
平和どころか
混乱を引き起こして
いるではないか

混乱をなくすための
オリンピックが
混乱を引き起こしてる
とは
なんたる矛盾


オリンピックとは
祭りとは
そもそも
神の賛美
神に捧げられるもの
儀式的なものであると
いっていいのである

あれを神の賛美として
神に捧げられるか

どうだろうか?


もちろん
芸術は
自由であり
クリエイティビティが
大切であるが
自由のはきちがえ
ではあるまいか


地上では
賛否両論程度だが
天界では
危機感を持つ者もいる

我は別に
キリストを崇めよ
などというつもりではない
そうではなく
あの退廃的なエネルギーを
オリンピックで
垂れ流すこと自体に
危機感をもっている
ということだ

しかし
あれに対して
よくないという声も多く
我々もその声の多さに
安堵はしている

まだ良識は
完全には失われて
いないようだ


オリンピックというは
我ゼウスが源流である

オリンピックをけがす
ということは
ゼウスを
ギリシャを汚すことでも
ある

ヨーロッパにとって
ギリシャ・ローマの文化は
いまだに尊敬され
文化の根底や
常識の根底に
生きている

日本人にはピンとこない
だろうが
実は
ヨーロッパの神々は
一斉に
騒ぎ出したのだ
これはまずい、と


日本人よ
東の国の日本人よ
どうか
日本の国に
誇りを持って
伝統を大切にし
絶やさず
残していってほしい

いくらギリシャ・ローマ
が素晴らしかったとしても
一瞬で
台無しになって
しまうこともある

決して無理に他国を真似る
必要はなく
自国のよいところを
大切にしていって
もらいたい

東の国の光の日本よ
我はみなに託す