陽キャの僕が出て来たってことは楽しいエネルギーが満載ってことで安心してください(╹◡╹)
賑やかで陽キャで
これ本当に神道の真髄なんですけどねー
どうも荘厳とか穢れを嫌うほうばっかりになってしまって
おおらかとか優雅とか
明るいとか
そっちがあんまり感じられなくなってますね。
陽キャの僕としては寂しいですね。
みなさんね、神道の神々でみんな御陽気で明るいって話しましたよね?
覚えてます?
その明るいっていうのも今の陽キャと違って人に押し付けないし
勝手に輝いてる明るさです。
人に嫉妬の心を起こさせない太陽みたいな明るさですよ。
太陽見ても誰も嫉妬しないでしょ?
神道の明るさってそういう明るさ、御陽気さなんです。
それがなかなかわかってもらえないんですよね。
そして、西洋、特にキリスト教文化とは違って
稗田阿礼が古事記作ったと言われてますけど
使った…書いた…編纂した…なんでもいいんですけど、稗田阿礼が関わりました。
これにも秘密があるんですけど、僕は今は言いません。
確かに稗田阿礼って人により古事記が出来上がりました。
古事記ってね、頭で読むものじゃないんですよ。
本当は神社いって神社の雰囲気の中で呼んでほしい。
感性で読んでほしい。
そういうものなんです。
天地初めておこりしときに
高天原に
成る神の名は
天之御中主神
次に高御産巣日神
次に神産巣日神
この三柱の神は
並独神として
なりまして、身を隠しき。
稗田阿礼素晴らしいと感じると共に
この日本語の美しさ
感性の尊さ。
これを感じ取って欲しいんです。
本当に今の人は訓詁学みたいなのが好きで
八岐大蛇はたくさんの川の象徴でそれをスサ( ˇ෴ˇ )がなんとかしたんだとか
アマテラスが岩戸に隠れたのは日食があったからだとかいう研究者いますけど
もう!!僕いらない!って思ってます。
古事記に染み込んでる感性。もちろん、神道系からのエネルギーを引いてますからそれを十分感じて
美しいなあとか
明るいなあとか
スサ暴れたんだなあ
アマテラス困ったんだなとか
そうやって感じてくれればいいんです。
へんな解釈いらないんです。
そういうふうにして
記紀って書かれてないんです。日本人らしく雰囲気を味わう、完成で感じとる。
それができるからあのようになってます。
そういうつもりでもう一回古事記読んでみてください。
新しい発見がありますよ。
稗田阿礼のすごさもわかるし、彼の秘密もわかるかもしれません。