久しぶりに私も出てきました。

巫女にはずいぶんと我々の声を聞いてくれて
尚且つ、みなさんに伝えてくれました。
我々は巫女に恩があるのです。
巫女を通してこそ我々の声というものは伝わりますから、メッセージを受けて発信するものに対して私たち天界のものは敬意を表しております。


そんな中、巫女が非常にショックを受け
ショックを受けたことさえよくわからなくなっている状態に陥っています。
今は孫の世話や息子の奥さんの様子を見にいっていて
表面上は明るく過ごしていますが、実際はそんなわけがなく、私たちからみても当然のように深い傷が残りました。

私の名前はヴィシュヌで
「あまねく満たす」という意味があると言われています。
少しの隙間もなく満たす。
それがヴィシュヌであるということです。

ならば私も傷ついて弱った巫女の心をあまねく満たしましょうぞ。

他の天界人も話していましたが、子が親より先に帰天することは逆縁といい
最大の親不孝とも言われています。

みなさんに子がいれば
そう感じるでしょう。
それは子は立派な職について結婚して子供ができて
という人生を歩んでほしいのですけれど
究極はいきていればそれでいい
というところなのです。
いきてさえいればそれでいい。
それが親心です。

そして、自分に子がいなければ親に聞いてみてください。
最大の親不孝とはなんですか?と。
もちろん、子が大罪を犯すことも親不孝には違いないですが、親より先に死ぬことが一番の親不孝であるとおっしゃる方が多いかと思います。

その傷を負っている巫女を
あまねく私が満たしていきます。
それは必ず実行されます。
ヴィシュヌがやるといったらそれは行われます。

そして、アテナが話していたように
光の強いものほどまた闇も強し。
その闇に耐えうる魂が求められる。

これはアンドロギュノスでなくても
ある一定のレベルの魂ならではならよくあることです。

今の風潮として
辛さや悲しみを受けるのは古いとか
考えを変えろとか
風の時代だからサラサラと生きるのが良いとあちこちで言われていますが
非常に勘違いしてると私は苦々しく感じています。


風の時代の主役は誰なのか。
どこからきた星のものが風の時代の先を走っているのか。
そのものたちが無傷で最先端をいけるのか。
開拓者は常に苦労を伴うことを知らないのか。


この辺りを知らずして語っているものがいかに多いか。

それこそ、ふわふわとした聞き心地のよい言葉に騙されてはいけません。

本当の風の時代の担い手とは、全てを飲み込んで
闇さえも風に変えられるほどの人たちであるのです。

同じサラサラいきても
全てを飲み込んだ人のサラサラと
飲み込むどころか全くそのようなことは知らない人とではサラサラが全く違います。
もちろん、全くしらないサラサラな人も私は否定しませんが
地球というのは宇宙一闇深い星です。
その闇を知らずして
知ろうとせずして
風の時代だからといってサラサラと生きるのはどうなのでしょうか?
表面を撫でているだけではないでしょうか?

これから、その辺も私はじめ天界から語られるでしょう。


私たちからは
地球の在り方や
宇宙一闇深い地球からどのような愛が生まれるのか
宇宙一闇深いところから地球はどこへいくのか

このような真髄たることを語っていくことでしょう。

ついて来られる方だけついてきてください。