久しぶりにきてみたら
なにやら新しい顔もいるようだな。

ここがこんなに盛り上がるのはワシも嬉しい限り。

さて、今理系の人が語っていたがかなり高度な話なのはわかったであろうか?

地上の者にとって
与えっぱなしというのはなかなかできぬことよ。
ワシもそれはわかっている。
なにしろ、天界とは違う地場にいる。
天界よりも所謂地獄と言われるところに近い。
そちらに引っ張られることもある。
与えっぱなしだと、もっともっとといってしゃぶり尽くそうとする者がいる。
それは皆も体験済みだろう。

しかし、ワシは思うのだが
やはり、与えっぱなしの心、神の心を忘れてはいかん。
我らは神の一部であるからな。

これが基本であるとワシは思う。


ワシよりもっと話が上手い天界のものがよくいうが
我らは一つであるから
誰かに対して与えっぱなしというのは自分に対して与えっぱなしということになるのだ。
人にしてるようで自分にしてることになる。
そういう話もよく聞く。
だから、基本中の基本として与えっぱなしを採用して欲しい


だが、さっきもいったが
与えっぱなしだと調子に乗り合って、こちらのエネルギーを吸い尽くすものがいるのもこれまた確か。

与えっぱなしがいいとはいえ、無限に与えるのもよくない。
それは与える側ももらう側も。

吸い取る側というのは
底がないのだ。
コップに穴が空いてる。
それに気がついてない。
だから、満杯にしようとしてできない。
もっともっと欲しいとなり、相手から吸い取るだけ吸い取ってそれでも満足せず、相手が白旗あげると相手をなじる。
よくある話よ。



地中海にいる乱暴者のワシでさえ、それは心得ている。

ポセイドン様といってスニオン岬に参るものもいたが
正直ワシはあまり相手にしてなかった。
何故って吸い取ろうとするものばかりだったからよ。

ポセイドンなら吸い取ってもいいという
信頼なのか甘えなのかわからんが、そういうものが多かった。

勢至菩薩や観音は優しいから願いは聞き届けるようだが、ワシはそんなことはあまりせんかった。
だから、粗野で凶暴、傲慢と言われたのやもしれん。

では、吸い尽くすものが目の前に現れたらどうしたら良いのか?
ポセイドンならどうするのか?

ワシなら一切与えない。
ワシならな。
与えないというのも吸い尽くす者に対しての愛とも言える。
尚且つ、己を守ることにもなる。

太陽は与えっぱなしの愛を皆に振り撒いて
確かに太陽と同じものが我らの中にもある。
それは確かだが、地上ではそうそうそんなにうまくもいかない。
いってたら地上はこんなふうになってはいない。

みなも「与えない愛」というのをちと考えてみてほしい。
荒ぶるポセイドンといえど、ワシにも愛はあるぞ。