ヴィシュヌ「昨日、アンドロギュノスの男性について話したが、多くの人が読んだようだ。





アンドロギュノスの愛というのは真実の愛である。
そういうと、女性たちはドキドキして夢を見るが
果たして私の話をきいてからもドキドキして夢を見ることができるか?



そもそも、アンドロギュノスとは
そもそも一つの魂。
それを二つに割ったものだ。
陽は男性として
陰は女性として
それぞれ何万年何億年
離れたりくっついたりして体験し
ようやく2つは一つに戻る。

その時に真実の愛に到達する必要があるのだ。

よく言われる無条件の愛だ。


完全に相手の自由を認めることができるか?
ここで大体はひっかかる。
自分以外の異性といるのは許せないという気持ちが湧いてくる。

嫉妬だ。

私は嫉妬がいけないといってるわけではない。
それだけ愛が強いということにもなる。

アンドロギュノスは元は一つ。
故に、自分以外の異性と自分の半身が仲良くしていると耐えられないほどの苦痛が襲ってくる。
中には、それだけで人生を諦めこちらに戻りたくなるものもいる。

通常の恋人とは違う感覚なのだが
それはアンドロギュノスにしかわからない強烈なものだ。


なにしろ、「自分」が奪われたような気になる。
だから、それが耐えられないのだ。


だが、嫉妬という気持ちがあると
二人の統合、融合はできない。
そんなものは真実の愛に必要ないからだ。


そして、相手の自由を認めることになるということは
相手に一切期待しないということ。

つまり、相手に一切執着しないということだ。

こうやって愛して欲しい
誕生日にプレゼントがほしい
それも真実の愛には必要ない。




とにかく、完全なまっさらな真実の愛に二人で至らないと統合融合までたどり着けない。

でも、私はいう。
執着したいなら好きなだけ執着しなさい。
真のアンドロギュノスなら
いずれ自然と時がくれば
執着や依存から離れる。




これら、私が話したこと。

どうすれば無条件の愛に至れるのか
真実の愛に至れるのか



これは簡単である。
非常にアンドロギュノス的認識があればいい。

一つは自愛。
自分を愛すること
大切にすることはすなわち
相手を愛すること大切にすることだからだ。

二つ目。
これは、アンドロギュノスの相手が他人ではなく自分だと
つまり分離してないと改めて思い返す。

たったこの二つだ。

これは、アンドロギュノスならわかるはずだ。
相手を他人だと思うからおかしくなる。
相手は自分だ。



だから
自分が嫌なことは相手も嫌がる。
自分が思っていることは相手も思っている。
自分を大切にしなければ、相手からも大切にされない。

自分がむやみに異性と仲良くしなければ
半身の相手もそうなる。

自分が浮気しなければ
半身の相手もしない。

二人は同じ魂だから。








私は簡単だと書いたが
この話はアンドロギュノスではないとピンとこない。
そして、容易な道ではなあことは自明である。


依存や執着や期待なしで
相手を愛することができるか?

そういう真実の愛に至らないと
アンドロギュノスは
統合融合できない。



ここまで読んでどうだろう。
アンドロギュノスに対してドキドキして夢見るような気持ちはまだあるだろうか。


一つの魂が長い旅をして再び一つになるという
ロマンチックなお話ではあるが
その実、アテナも話しているが
甘くはない。

今愛する相手がアンドロギュノスでなかったとしても
相手に一切執着しない
依存しない
期待しないで愛することをしてみてもいい。

とにかく、真実の愛とはそういうものだ。

余計なものが一切ない
ピュアなものだ。


そうして、アンドロギュノスは統合融合し
宇宙へ旅立っていく。