あれから、今日で8年


忘れられない日





風化、させちゃ



いけない…!









シンディ〆



以前にここを訪ねたのは、昨年の2月。
翌月には、あの大震災で地震と津波による大きな被害を受け
あれから、20ヶ月

久しぶりに見る海岸では、いつもより冷たい風と
雲の間から覗く、朝日が眩しく輝いてました



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シンディ〆
「行けますよ、でも…なにもないですよ」




石巻のコンビニで買った温かいお茶を口にしながら
さっき話した店員さんとの会話を思い返した



「なにもない」


この言葉の意味は、女川から先を走りながら何度も噛み締めた









港や海岸に面した町や集落は津波の被害で、さら地(瓦礫が撤去されて)や倒壊した建家の廃墟だった


なかでも、大きなコンクリートの建物が基礎から根こそぎ吹き飛んだまま転がっていたり
立派だったはずの産業会館も津波が突き抜け破壊されたままの状態で残されていた




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昨年、東松島から石巻手前での通行迂回(立ち入り規制)で入れなかった場所

一年が過ぎて、泥だらけのさら地状態だったり
まだ手付かずなものもあったり

離れた場所に住んで暮らす今日の私たちには、残念ながら予想もつかない状況が被災地のこうした場所にはたくさんあることをもっともっと知る必要があると思う

現状をもっと知ったうえで、それらを伝えたり
できる事をみつけて力になれることに参加したりしていく協力がまだまだ必要だと痛感する


たくさんの犠牲もあって、そして多くの人たちが大変な思いで過ごしている今日があると言うことも



国の役人やマスコミだけでは、正確な情報は伝わりきれていなかったり、時間の経過と共に伝えるべき話題の重要性が薄れていく
それに、情報は時として操作されてしまう


お金が積まれれば、クロもシロになる
ニュースもお金次第

不思議な話、とぼけた実話




…話が、それました



周りになにもない南三陸の薄暗い海岸通りで、そこだけ明るい電気のついた小さなガソリンスタンドが一件あった

給油で立ち寄って、おじさんと少し話をした



「もともと、過疎な地域だったけどそれでもこの辺(家)は50件くらいはあったんだよ
津波でみんなやられてしまったけどさ」



仮舗装の真っ暗な海岸通に、壊れた車が山積み、廃墟がポツリ

波の音だけが響く






それはとっても寂しくて、今でも忘れられない光景














シンディ〆