郡山駅前の旧丸井の並びのビルに入っていた結婚相談所が
襲われたらしいね。
牛刀のような刃物など10本も持って、
須賀川の34歳の会員の男が押し入ったらしい。
「相談所は何もしてくれない」と怒りをぶつけて、
女性職員に「ぶっ殺してやる」と迫ったとか。
通報で駆けつけた警察の説得に応じず、警官が発砲。
足を撃たれた犯人はその場で取り押さえられたという。
警官が発砲するという事態は、そうあるものではない。
かなり危険な状況だったのだろう。
結婚相手を紹介してもらえなかったのか、
紹介した人とうまくいかなかったことで相談所を逆恨みしたのか。
確かなことはわからないが、どうしてこんな切れ方をしたのか。
そりゃあ結婚は重要だろうが、ランボーじゃあるまいし、
これだけの行動を取る理由としては、あまりに軽くないか。
生死をかけて、ゲリラに奪われた大切な人を奪回するための突入とか、
大いなる信仰や思想に殉じるためというなら、事の正否は別にして、まだわかる。
それが、なんだ、これは…
秋葉原の無差別殺人や、仙台のアーケードに車で突っ込む事件もそうだったが、
理解できない。
こうした行動をはやし立てて、後に続けとばかりの書き込みを2ちゃんなどに
している輩もいる。
狂っている。
何が狂っているのか。
「人を殺したいほど憎む」ことは誰にでもあるだろう。
自分もある。
だが、だから殺す、と行動に直結することはありえない。
刃物を振り回したり、車で突っ込んだり。
絶対的な力の誇示による優越感、快感に酔っているようだが、
「自制」は働かなかったのか。
「自制」が働かなくなっている社会は危険だ。
「自制」とは何だ?
自制が働かない人間を多くの若者がヒーロー視する現象は、
それだけ多くの人間が自らを殺して耐えながら生きているという事なのだろうか。
その耐える度合いが、かつてなく厳しく、長期間に渡り、自制を働かせるはずの
精神が蝕まれてきているのではないか。
希望が、まっとうに生きることの代償であるはずの幸せが、人生の充実が
足りていない。社会に。
ゲームの影響を語る識者も多い。
その影響はわからないが、それだけで分析してしまうことの安易さは危惧する。
親が悪いともよく言われる。
それもその通りだが、ではなぜ親が子供の教育者として、導者として、
不十分な存在に成り下がってしまったのか。
人として、社会の一員として、日本人として、
守るべき高潔さ、徳、誇り、誠実--- 忘れていないか。
それらはプライスレスかもしれない。
資本主義社会の中で、利と無縁かもしれないが、長い目で見れば
日本という国の魅力を高め、引いては世界から人材を吸引し、
競争力につなげる源になるのではないだろうか。
借金漬けで思い切った経済政策を打てない日本政府が、
あまり金をかけずに、国際競争力を高めることができる手段ではないか。
そのためには、不浄な政治家には退散頂き、
恥知らずな経営者は、厳罰に処することも必要だろう。
小手先の正義で、暗愚を攻めるマスコミにも、より深い哲学を
法解釈に縛られる裁判官にも、普遍的な正義を
わがままな消費者にも、公的意識を