適当に生きてます。とりあえず時の流れに任せて、20年間生きてきました。


私はその間に色々なことを知った。




黙ってても気持ちは伝わるというのはほとんど嘘だということ。


基本人という生き物は自分にしか興味がないということ。


言葉にしなきゃ誰も自分の気持ちに気づいてはくれないんだということ。


言葉にしたからと言って伝わるとは限らないということ。


伝わってもそれが行われるとは限らないということ。


こっちが親切にしてもそれを当たり前と受け取る人がいるということ。


人の優しさを容易く踏みにじることができる人がいるということ。


自分の正しいと思っていたことは、世界で正しい思われるとは限らないということ。


正しさの価値観なんて、時には傲慢に成り下がるということ。


自分の大切にしているものを理解してもらうことなんて、ほとんど出来やしないんだということ。


価値観を共有できることは、奇跡に等しいということ。


世界はすべてを無視して過ぎていくということ。




この世には、心から信頼できない人が、星の数ほどいるということ。


この世には、心から信頼できる人も、少なからずいるということ。







人は、あまり情のない人間を無下に扱うことができる。


一方で、大切なものには温かく接することができる。


それも暖かい場所は各自違って、その場所に初めて触れたとき、その人の誠実さというものを知るのだと思う。


でも、誰がどこを大切に思ってるか、誠実であろうとしているのかなんて、誰もわからないんだ。


当たり前と思っていたことが、人に言われてあたりまえじゃないと気付く。


まぁいいやなんていう甘えた気持ち、今まで大切にされなかったんだからと投げやりな気持ち。


(その人はその一点だけかもしれないけど)誠実であろうとする心を見せられた時。






   私は痛くて痛くて仕方ないんだ。






これから先、私は何度自分の甘さやずさんさを恥じるんだろう。


毎度違う人に一点の誠実さを見せられて、温かい清水が傷に染みて、


たったそこだけなのにそれはひどく温かくて、


もっと前にその温かさを知れたらよかったのにと若干の恨めしさを覚えながら、


自分を恥じるんだろう。憐れむのだろう。


それはきっと、全てに対して誠実で在ることに疲れてしまったから。


あまりにも報われなさ過ぎて、誠実であるが故の無防備で攻撃を直に受けすぎてしまったから。


そう自分で言い訳をしたことに、今度は心痛むのかな……。





「全てに対して誠実で在らねばならない」理由。


それも全ては、人のためより自分のためなのかもしれない。