もう今日は、日本に帰ってのんびり。
緊張してたのか、13時間寝た。おかげで、疲れも取れてすっきり。
韓国の完全フリーツアーは、やっぱり、韓国語が全く読めない、聞き取れないのが、かなり難しかった。英語で話しても、わかる人は、半分くらい。
釜山では、その英語の表記も少なくて、ちょっと奥の観光地の温泉場に行くと、何の店か、さっぱり解らず、昼ごはんに、どの店に入るかでも一苦労。
ほとんど地下鉄での移動で、釜山は地下鉄がたくさん走ってて、とても便利だったけど、駅名が英語表記でもなかなか解らず、下りる駅、乗る駅がどこなのか苦労した。
切符も、1万ウォンまでしか使えない機械が多くて、両替機を探したり。自分が悪いのだけど、切符を抜き忘れて、出られなくて困った。でも・・・快く助けてもらえた。韓国は治安も良く、みんな親切。町のなかも、駅の近くは、ほとんど、大阪の町とかわりない。繁華街の奥に行くと、少し前の通天閣あたりの雰囲気もあったけど・・・。
車は、軽自動車がなく、走ってる車はみんな大きな車で、タクシーに乗って道を見れば、むしろ日本より高級な感じもした。
東海龍宮寺へは、海雲台まで地下鉄、そこからタクシーがベストチョイス。
タクシーは、安くて、日本の半額くらい。

良かったとこ・・・
東海龍宮寺のカフェ。
海を見ながら、コーヒーは、気持ちよし

そのお寺の出たとこ。
コンビニでビール買って、出店のイカやら、おでんやら、あげお餅のような美味しいおつまみで乾杯。
イヤー極楽である( ´∀`)

釜山タワーで、夜景とマッピングのコラボ
綺麗かった

ラストの食事にトッポギ

とても美味しかった。

最後に・・

ホテルから空港に向かう地下鉄の切符売り場で、ボランティアの日本語ガイドのおばあちゃんが案内してくれて・・
84才の方で、とても元気そう。
10才の時に、日本の戦争が終わって、戦争中は、学校で日本語しか話してはいけなくて、今も日本語話せると。
でも、その戦争の次に朝鮮戦争も始まって、ちゃんと勉強できなかったのが、とてもつらかったとのこと。
明るく話してくれるのだけど・・
なんだか申し訳なくて、日本がバカなことして申し訳ありませんと謝って、それから、とてもつらい気持ちと、やるせない悲しい気持ちになってしまった。
人の国を、武力で占領するのは、やっぱりしてはいけないことだなと、つらい思いをした人に直接会うとつくづく思う。
教科書や小説での話ではなく。
生まれて初めて、日本の戦争の被害者の人に出会った。
そして、この日は、韓国から日本に帰る日。
令和になった日、
2019年・令和1年5月1日。
令和の始まりに、とても大事な人に出会えた気がする。
「また、機会があれば、会いましょうね」と綺麗な日本語で言われて・・。
おばあちゃんに、その重い荷物は大変だからと、案内してくれたエレベーターを降りました。
令和は、「美しい平和」とも意味があるそうな。