こんにちは、

えみりです🌸

 

今日は自分に対する感じ方と、周囲の環境との関係性について考えてみようと思います。

 

私は、人は自分がどう在りたいかということを明確にし、信念を持ってさえいれば、

周囲の意見や思惑に流されないで生きることは十分可能であると信じています。

 

一方で、やはり私たちは社会的な生き物なので、

周りからの影響を一切受けないで生きるのは難しいようです。

 

自分が望む望まないに関わらず、

自分が自覚するしないに関わらず、

多少なりとも同じ環境にいる人々と互いに影響し合いながら生きています。

 

 

 

 

ですので、私が持つ自分像、私の自分に対する見方、感じ方、

これも主観的な問題であるようで、

実は周囲との関係や周囲からの扱われ方によって左右されている部分が小さくないようです。

 

そこで深く関わってくるのが自己肯定感です。

 

自己肯定感とは自分のことを承認し、在り方を受け入れることなので、

”私”が主体となっている感情だと考えられます。

 

また、先日の記事でも書いたように、

誰しも、どんな時も自分のことを幸せにする力があるはずなので、

やはり決定的に大事なのは”私”の自分に対する向き合い方、扱い方だと思います。

 

ただ、同時にどんな人達に囲まれて過ごすかという環境的な要因も、

自己肯定感に大きな影響があるということを、
全く違う価値観の人々の中に身を置くことで実感しました。
 

同じ価値観をもつ人たちに囲まれるということ、

それは、私が良いと思うものを良いと言ってくれ、

私が良くないと思うことには同じように違和感を覚える人たちと過ごすということ。
その人たちと一緒にいることで、自然と自分の考え方、感じ方が肯定され、

私が価値視していることが評価される。

そうすることで、私が自然と私自身ことを肯定することができる。

 

その逆もしかりで、

全く自分と価値観が合わない人たちの中にいることで、

私が良いと思うことには賛同を得られず、私が評価することは否定され、

私が価値視することには疑問が投げられる。

私の価値観には合わない言動を日常で多々目にするようになり、

私の感覚に自信が持てなくなっていく。

 

 

振り返ってみれば前者のグループにいたとき、

私は自然と自分のことが好きでいられました。

それは私の言動が常に周囲から肯定されていると感じる時でした。

 

そして、後者のグループにいたとき、私はいつも欲求不満で物足りなさを感じていました。

それは私の言動が周囲にとって何も意味を持たないように感じる時でした。

 

人の言動はその人の価値観から生まれます。

同じことを大切だと思っているから気づく、共感する、評価する、そして感謝できる。

 

この経験を経て、

日常の中で同じ価値観の人に囲まれて生活する場があるということが、

自分のことを好きでいて、自己肯定感を保つ上でとても大切なことだと知りました。

 

社会生活の中で”ポジショニング”を意識することが大事だという話をたまに耳にします。

 

それは自己肯定感とも密接に関係していることだと思いました。

自分をどこに置くか。

どんな人達の中に身を置くか。

 

自分が関わる全てのグループで、とまではいかなくとも、

私の性質、感覚を肯定できる場を一つ、生活圏に意識的に設けること。

 

これが私の自己肯定感を守り、また育む上でも大きな意味をもち、有効なのではないかと思います。

 

私が主体となる自己肯定力を磨くと同時に、

自分の為の社会環境の選択も賢く、時に潔くしていけたらいいですね^^