↑↑ この日からもう3年。母ちゃんの母の話です
2024年春「介護認定3」
先日、一人で実家に帰ってきました。
帰る日を決めるのに電話していたら
「会いに来てくれるの?嬉しいわ」なんて
今まで聞いたこともない言葉が出てきて。₍気持ち悪いんだが・・₎
あれ?
いよいよ私のことも??
私を親戚か、だれかと思っているのか?
まあ、ここ最近の母との会話は。。。。
・「言葉」が出てこず、言いたいことが伝わらない
・途中で話をやめる
身体能力
・独歩×
・手すりなしでは歩行困難
・着替え、風呂、トイレなどにも手がかかる
・歩行-歩行器使用
認知機能
長谷川式簡易スケールをとってみました
得点:ひとけた、、、でした(20点以下で認知症疑いあり)
3人きょうだいですが
子どもは何人いるか?問うと
「4人」と笑顔で答える
隠し子発覚です
認知機能の低下は
ここまで10年、20年かけてなるべくしてなった、と思います。
もともと計画的に買い物して
料理をする人ではなかったのですが
20年ほど前から冷蔵庫に空のタッパーが増えてきていました。
すぐに動けないので
キッチンに立つ回数も減り
作り方も分からなくなり
料理、洗濯もしなくなり
頭を使うことがなくなりました ←ないない尽くしでは×
今は週2回のデイサービス(入浴付き)に行っています。
これもやっと春から2回に
父が家事を行っています。
歩行器を借りたのもこの春。
母は圧迫骨折を繰り返しており、歩行はゆっくり。
それに付き添う父。
父は今回の介護認定で
母の認知機能の低下に気が付いた??ような感じで
そのことに私自身、ショックでした
母の「認知症」に気づいていると思っていて
父と話すことがなかった。
確認、確認して
もっと早くから母のことを、父と話しておけばよかったと反省。
言葉は出ないのですが
思ったことをそのまま口にする、という悪い癖。
その言葉によって傷つけられ
多くの人を傷つけてきた母。
それに気付いていない母。
そんな母を介護する父。
よくやってると思う。
「お茶を飲みたい」という母。
お茶を入れる父。
母ひとくち飲み「ヌルいな」・・・
今回、行って父母に
「延命治療はどうする?」
「歩けなくなったらどうする?」
「本人の意思を尊重したいから」と話してきました
母「なったらなった時よ。その時はその時」楽観的・・
父「そうか。。考えとくわ」
いきなり延命治療とかの話をしたけれど
私自身もエンディングノート、書かないといけないな。。。
近くの特養の施設のパンフレット送付希望をしました
施設の方は
「申し込み順ではなく、必要度の高い方から」と。
●独居
●認知症
優先順位高いです。
申し込みをしてても良さそうです。
金額が見合えば、ですが
老健施設で働いていた私は本音を言えば
「施設」に入れたくない。
けれど現実に家で見るのは無理だと思います(マンパワー不足)
結局、介護は「お金との兼ね合い」なのかな、と思う。
これだけ高齢者が増えてきて
家で看取りたい、と思っても
利用できるサービスが少なく高額。
最後を「自分らしく」生き抜くにはどうすればいいのでしょう?
自分のエンデイングを考えさせられます。
子育てをさせてもらって思います
どの人にも子ども時代があって
みんなにお世話になりながら大きくなっている
人間、最後は子どもにかえっていく
最後もお世話になる。
一人じゃ何もできなくなる。
みなのお世話になってもいいじゃない、と。
迷惑かけてもいいんじゃないかと。
思うけれど父母に言えない・・金銭や感情面で
母として
「子どもに世話になりたくない」
「迷惑をかけたくない」と思う
娘として
「母の世話、うーーん、出来るかな?」
考えたことがなかったけれど、書いてみて思った
真剣に考えてみようかな。
「気にしんでええよ~
お母さんも私のオムツかえてくれたやん 今までありがとう。
気にしないで いっぱいお世話させて」
ッテ心の底から思えて、介護できればイイナ。
そんな境地に行きつけるのか・・・
老々介護がもっと楽に出来ればよいのにな。。。
父が作ってくれたスパゲッティー(レトルト)
レンタル歩行器
週末、父母がうちに来る予定。
普通で🚙で3時間弱かかります
5時間くらいかけてくるのかな・・?
一泊勧めていますが「帰る」とのこと。
運転の父が心配です。。
もうすぐ 夏休み~