今回は「おばあちゃん」のお話。私にはWest LAに住むおばあちゃんがいます。決して血縁関係にあるおばあちゃんではないのですが、きっとお互いに前世でそういう関係であったのでしょう。歳も私より48歳違い、おばあちゃんと私は同じ干支の生まれです。もしおばあちゃんの娘さんが生きておられたら、その娘さんは私の母と余り変らないお歳と思います。おばあちゃんのお名前は静子さん。もうそろそろ一世紀生きたことになります。私は彼女を本当のおばあちゃまのように慕っており、「おばあちゃん」と呼んでいます。静さんも私を20年近く孫のように可愛がってくださってます。私にとっては、彼女との出逢いはアメリカに来て最高、そして一番の「宝物」です。ここだけのお話ですが、両親よりも、亭主よりも、誰よりも私のことを心より判ってくださるのはおばあちゃんで、大切な大切なお友達でもあります。(私は小さい頃より、お年寄りと子供とお友達になるのが上手というか、好きなんですね。)


おばあちゃんとの出逢いは1991年だったと思います。
ロサンジェルス不動産の水先案内人                                * Key to Your Dream Home *
当時の私はWLA時代、ルームメイトの居る生活でした。学生時代も終え、仕事に就いてそろそろ2年。もう少しプライバシーが欲しかった私は本当の意味での一人暮らしをするために賃貸住宅探しを始めたのがきっかけです。当時はMid Wilshireにある日系アメリカ人弁護士が6人ほどで構えている法律事務所に勤めており、私のボスの一人が羅府新報に広告を掲載していた関係上、羅府新報が毎日オフィスに届いておりました。90年の12月頃だったでしょう、1ベッドルームのユニットの広告が出ていました。賃貸料も私の予算に見合ったもので、お電話をしたところ静さんのご主人様の次郎さん(おじいちゃん)がお電話にお出になりました。当時90歳。耳の遠い次郎さんが大きな声で私の質問に答えてくれましたが、今ひとつユニットを見る気力がなく、その電話一本の問い合わせで終わりました。そして、また物件探しが続いたわけですが、翌年2月中旬頃に入ってまた同じ広告を目にしました。なかなな予算にあったアパートも見つからずにおり、これはきっとご縁だったのでしょうね。そして、再度電話することになったのです。その時は静さんがお電話に出られました。すごくトーンの高い声で、日本語もとっても丁寧で、声を聞いただけで物件を見に行きたくなったわけです。最初に物件を見に出向いた時は夜でしたので、物件を丁寧にみることも出来ませんでしたが、初めて会ったおばあちゃんは70歳そこそこにしか見えませんでした。銀縁の丸いメガネを掛け、本当に優しさが体からにじみ出ている感じです。その日は、日系アメリカ人の同僚と一緒に仕事先から物件までのドライブで場所を確認するのみで終わりました。初めてお会いしたおばあちゃんでしたが、「大昔にどこかでお会いしたことがあるような、懐かしい方」であると感じました。これはご縁であると思いました。その後また日を改めて、一人で物件を見にゆきました。あの日のことはしっかり覚えています。何故って?アメリカに来て貧乏学生し終えて、永住権申請をお願いすることを交換に、それなりの賃金で働いて一人で頑張っていた私でしたので、$$に少しきつい生活をしてましたし、日本には帰りたくても大使館での永住権取得のための面接があるまでは帰れない状況でした。私は小さい時から困難があったらそれは「恵み」であると身体障害者である父親から言い聞かされてきたポジティブ人間ですし、お仕事を通して自力で永住権を取得する決心でGo-Getterとして頑張っている私。でも、アメリカで常に固いDefenseを敷いて一人で頑張っている自分の心のどこかに、異国で一人でぎりぎりで生活している辛さと心の寂しさがあり、つまり家庭的なあたたかい食卓、真心がこもった家族や親戚たちとの対話が本当に恋しかったんですね。おじいちゃんとおばあちゃんのところを再訪した時間が丁度夕食の頃でユニットを見せていただいた後、おばあちゃんが「もうお夕食は済まされましたか?まだでしたら、きょうはすき焼きだから、お夕食でも一緒にしていらっしゃい」とどこの誰とも知らない赤の他人の私をご夫妻の住むOwner Unitに連れていってくださり、お夕食を一緒にさせていただきました。お庭で育った本当に緑の濃いお葱がたくさん入ったすき焼きを頂かせてもらい、突如大粒の涙がぼろぼろこぼれだしてしまったのです。まるで、子供のような大泣きです。涙を流すまい、泣き声を出すまいとすると喉が痛くなる、あの感じで泣いてしまったのです。きっとあの時おじいちゃんもおばあちゃんもびっくりしたかもしれませんね。胸に打つ、心いや魂に本当に響くような優しさに生まれて始めて出合った感じでした。これぞ、心の中のComing Homeというか、アメリカに来て始めて感じた「心の安堵」だったんです。それは次郎さんと静さんの真心が与えてくれたのです。きっといつの日か前世で出合った魂が再び出合ったのでしょうね。また再会して、「ああまたあえてよかったね」って。ダイニングテーブルの上にあるライトの色が本当に暖かい色で、私の人生の中で一番心の温まる、そして数えきれないほどの真心がこもった親切を心で体験しました。お食事の後はお庭にある新鮮なお葱を大切に新聞に包んでくださって、お土産に自宅に持ち帰った夜となりました。自宅のユニットに戻り、日本の母と相談してお引越しを決め、1991年3月に一人暮らしが始まりました。(写真の「ちゃんちゃんこ」は私の母が夫婦お揃いでということで仕立ててもらったものです。あの頃が懐かしい!)


このあたりでちょっと不動産のお話をいたしましょう。


賃貸物件をお探しの場合、当方がお手伝いできる賃貸物件はMLSに掲載されているリース物件と当方ネットワークからの物件がメインとなります。また、生活支援に関しましては、電気・ガス・水道などのユーティリティーの手続きサポート、および学校関連の情報提供を行っています。


アメリカでは賃貸をする際もクレジットチェックが入ります。アメリカに到着したばかりの方が賃貸される場合、駐在員の方々の場合雇用先の
Guaranty Letterをクレジットレポートの代わりとして家主さんは通常受け付けてくれます。またそれ以外の方は大家さん次第となります。当方が扱うリースは通常1年契約、契約が切れる前に大家さんからリース契約の延長や再契約について打診してきますが、もしこれらに合意されない場合、家主さんのOKがあれば月極(Month-to-Month)に切り替わります。リース契約途中でお引越しをしなければならない場合、契約期間分のレントを支払う契約義務がありますのでしっかり留意しておいてください。契約1年以後、いつまでお住まいになるか未定の場合、1年を過ぎましたら月極にされておく方が無難でしょう。また、1年リースのコミットすることが不確実な方は、ウェブサイトやCraigs List・For Rentのサインからが月極の物件を探される方をベターでしょう。


万一、大家さんの理由でテナントさんにお引越ししていただかなければならない場合、リース契約がある場合は大家さんは契約履行する必要があります。従って、テナントさんは契約が終わるまでお住まいになることができます。月極の場合、1年以下しかお住まいになっていない場合は30日間の前通知、1年以上お住まいの場合は60日の全通知を大家さん側で行う必要があります。但し、賃貸物件が月極の一軒家・タウンホーム・コンドで、大家さんが物件を売却する場合、法律で定められている5つの条件を満たす場合、大家さんは賃貸期間に関わらず30日前通知でテナントさんにお引越しいただくことが可能です。但し、レントコントロールのある市では、レントコントロール(*)の条例に従った手順でテナントさんにお引越ししていただくことになります。


また、テナントさんが住まれている住宅物件(アパートを除く)をご購入しご自身がお住まいになることをお考えのバイヤーさんの場合、オファーを入れる前にテナントさんの情報(契約の種類や現在までの賃貸期間がどれ位か、売却後の引越し予定の有無など)を確認され、状況に応じたエスクロー期間やContingency Periodなどをオファーに含める必要がありますので、しっかり不動産エージェントさんとご相談されてください。(*)ロサンジェルス郡でレントコントロールのある市は:ロサンジェルス(サンペドロ、ハーバーシティーも含む)、ビバリーヒルズ、ウェストハリウッド、サンタモニカです。

当方では賃貸物件をお探しの方以外に、賃貸物件をお持ちの家主さんのためのリースのMLSへの掲載(リスティング)のお世話もさせていただいております。当方のモットーは売買も賃貸もサイズ・価格にか関わらず、心のこもった責任あるサービスをさせていただくことにありますので、きっとご満足、ご安心いただけると思います。



ロサンジェルス不動産の水先案内人                                * Key to Your Dream Home *
さて、私の静さんのお話に戻りたいのですが、静さんについて私が書くことはたくさんありすぎて、一回のブログでは書ききれません。今日はこのあたりでおしまい。おばあちゃんの体は日増しに小さくなっています。最近のおばあちゃんについては、Time is tickingの感じがするのです。先日の訪問の帰り際、「みゆきさん、また来てね。」と言って私の手をしっかり握り締めていたから、早くまた顔を見せに行かないと。私がおばあちゃんのことをブログに書くといったら、すごく喜んでいました。私、いつも頬擦りして帰ってくるんです。


どうしようおばあちゃんが居なくなってしまったら。きっと、私はどーんと落ち込むと思います。でも、そんな時お客様から元気もらいましょう。そして、笑顔はどんなことがあっても決して忘れませんよ。これは商売をしていた私の両親からのゴールデンルールなのです。



5?才の私は最近、ビートルズのIn My Lifeの歌詞の心持がぴったりですね~。小学校時代の友人から、私がアメリカに居る間に天国に行ってしまった日本の友人・知人・親戚の人達、アメリカに来て出合った人々のことまで、昔出合った人達のこと思うことが多いんです。そして,ルンルン In my life,I've loved them allルンルン なんです。これも歳をとってきたことの現れかしら。(In My Lifeの歌詞、本当に大好きです。そして、ビートルズが居なかったら、私は多分アメリカに来るような人生を送っていなかったでしょう。皆さん、星加ルミコさんって知っていますか?私が小学校2年生位の頃かららあこがれていた人です。知っているほとんどの人は皆もう60歳過ぎているだろうな。これについては「またあとで」のお話です。)


いつもの通りブログの原稿は少しづつ書いているのですが、このところ時間に追われてアメブロから離れていました。おばあちゃんのお話の続きをお楽しみに!これから、レドンドビーチに住んでいる義理の父母のためのパーティにでかけます。義理の母の80歳の誕生日と父の日を祝う会です。それでは。


May your day be calm, clear and bright.......