介助員から学校教育にチャレンジ?!

素朴な疑問なんですが
運動会って…
誰のために、何のためにするんだろう?
 

カラダを動かすのが楽しくて(楽しくなったり)、普段見てもらえない姿を家族に見てもらえる当日のドキドキわくわくを楽しみにしながら、子ども達が練習をしてるのなら分かるんだけれど…
 
見て下さい!
これだけ子ども達がガンバれたんです!スゴいですよね!
「教えてますよ!」「導いてますよ!」「しつけてますよ!」って、保護者に対する先生の発表会(通信簿)の様な運動会はイヤだな
 
 
今日はある子を叱った
調子にのって、いたずらをして自分の寂しさをごまかしている面もあるから、抱き締めたかったけれど、叱るしかなくて涙目にしてしまった😢
くそ~、自分は何をやってるんだ!
 
子どもへの申し訳なさ&自分の情けなさから、もう何度読んだか分からなくてボロボロになった灰谷健次郎『子どもに教わったこと』角川文庫を手に取りました。


以下文庫から引用
↓↓↓
○大人と子どもの断絶は、おまえは学ぶ側、わたしは、もうそれを済ませた側なんだという意識から生じる場合が多いと思います。
[途中省略]
相手はさまざまですが、学んで変わるためには、必ずもう一方の支えが必要です。ということは一方的に、ものを教えるという関係は成立しないということになります。
 
○学校は、ただたんに、ものを教える場所じゃないんです。教師も子どもから学んでいる。そういう場所なのです。
たいていの教師は、それを忘れますね。子どもを命令や強制で変えようとするのがよくないのは、そうする教師は永遠に自ら変わることがないからです。
 
○つまり、子どもを計るものさしはないのです。
[途中省略]
四十人の子どもを受け持ったならば、教師は四十通りの子どもの添い方を考えなくてはならないのです。
四十人を十把一からげにして、一つの答えを教える、というのは教育でもなんでもない。
 
○子どもの声に耳を傾ける前に、子どもを規制で縛るのは教育の敗北です。
[途中省略]
管理体制が教育の場にそぐわないのは、子どもの声を閉ざしてしまうからです。
 
○こんな子どもの声があります。
「宿題を忘れて、わけをいえと叱られて、わけをいうと、いいわするな、とまた叱られた」