前者が後者に怒られる時(私の体験談) | Partly cloudy
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先日の↑記事…
掘り下げたつもりがまだ浅かった。
何だか、ただの恨み節のように見えた感もあったので、改めて補足&まとめ記事書きます。



まず、「前者」という生き物=当時の私について。



前者っていうのは、脳内で全体像を構築しながら、平均値(必要到達点?)とか仕事の理解を深めようとします。私も例にもれず。
突然起こるトラブル、なんてものは、あくまで突発であり、多発するなんて異常事態(前者にとって)は避けねばならないし、また、備えがあれば避けられると思っていて、その「備え」をせっせと行っています。

なにしろHP低いですからね。MPで稼ぐ。
MPのレベルUPのために、日々研鑽するのです。 


そして、当時の私が就職した会社。


成り上がり系ガハハ社長率いる小さな印刷会社です。
倒産寸前の会社を引継ぎ、がむしゃらに頑張って、家族のような少数の社員と共に、その局面を乗り切り、業績を上げ。
私が入社した頃には借金もなくなり、これからIT方面へ打って出ようとしていました。みんながやりきった達成感できらきらしていました。


つまり、例えて言うならば、戦国の世から平和維持の世の中へ変わろうとしていた過渡期。
何もかもが整備されておらず、手探りだった時代の終焉。
もし私が戦力としてうまくフィットすれば、その後のインフラ整備に一役買えたかもしれません。


何が問題だったかと言えば、その会社の人間関係が、私の基盤、歩いてきた道の全てを否定するところから始まったというところ。そして、私もそこに乗っかっちゃったというところ。
ガムシャラにやればパート社員も社長になれる、どんくさくても誠意でお客さんの信頼を得られる、それが答えなんだというのが社長以下ほぼ全員の口癖でした。

私に関しては学歴(大卒って部分だけ)も否定されるわ、どんな時でも丁寧語、相手の都合優先の性格も必死さがなく、やる気がないからだとされましたし、元々、家族ぐるみのお付き合いをしている社員同士の、しかも分かりあい度の高い後者の輪の中にはとても入って行けず。
かといって、歩み寄りも媚びと捉えられたようで、「自分がない」とされました。茫然自失…。
私は本音でしゃべってるつもりでも、「本音を言え」「何がしたいんや」と言われ続けましたしねー。
←てゆっか、したいこと以前に何したらええんか分からんかったし、仕事教えて欲しかった…



そうそう、あと、アレです。
怒られた後に涙をこらえて笑顔で仕事を頑張ってたらば、


「本当に反省してないんやな。怒られた後で凹みもせんとヘラヘラ笑えるなんて、分かってない証拠や。」 
by 社長。



Σ(゜Д゜)えええっ。


…つい最近、後者の方のブログやFacebookの投稿で



「叱られる」と「あり方を否定されてる」気がする。

「凹む」のを「反省する」だと思っていた。



のような記事を見まして、芋づる式に思い出したのがこのエピソード。
涙こらえて悲しみかくして頑張るのが美徳で社会人のたしなみだと思っていた私には、理不尽かつ新しいものの見方で、もう黙るしかなかったんですが、今わかった。

こ…後者だ!社長、後者だったんだ!
それもきっとめっちゃ怒られてきたタイプや!



それをきっかけに、思い出すのも辛かった当時のあれこれを思い出してみると、まぁ見事なまでの後者職場!
仕事中でも真っ白になったり時間飛んだりしてましたもんね。
(ミラクル天然お笑いエピソードも多く…なのに今その記憶がおぼろげなのが惜しい、とっても惜しい…。)
そして「叱る」「反省する」の理解が↑で書いたような感覚だから、職場は毎日

ぶつかり稽古

の様相を呈していました。



はぁーーーーーー…。



…そりゃー、HPの低い前者が耐えられるはずはないよね!
無理もないわ、あはははは!


そんなわけでせっかく正社員になれたのに、約半年で退職した私。
けれどきっと、あの頃、社内でも心配してくれてる人は居たんだろうな。
ここまで書いて初めて思う。
今月末で辞める、といった私に、そんな調子でこれ以上頑張れるのか?毎日、そんな気持ちで会社に来れるか?と聞き返してくれたアノ人。
おかげでその日、その時点で退職が決まりました。
逃がしてくれる優しさ、というのもあるんですよねー。



あとオマケ。
これ、思い出したから一応。



実は当時、会社に行くのが本当につらかったので、朝起きたらヒーリングミュージックのCDを流しながら出かける支度をしていたんですが、退職してしばらく家でダラダラ過ごしていたので、その間は音楽も聞いてませんでした。
そして2か月後には新しい職場に通うようになり、気付けばその会社での出来事も、思い出すことはほとんどなくなっていました。
やがて、新生活にも慣れたある朝、久しぶりにそのCDをかけたら、フラッシュバックって言うんですかね、急に当時の恐怖感、不安感が蘇りまして。
しばらく情緒不安定に陥ったことがあります。
たまたま、そのCDをかけた時間帯と季節、湿度や気温がガッチリ一致してまして、そのせいなんでしょう。すっごく怖い夢を見たり。



…本当に、ねぇ。
そんな恐怖の中で耐えて頑張ることなかったんだなぁ、と思います。
当時は、父の借金が発覚した直後で、母が私や弟のために貯めていてくれたお金も全部返済に充てたこともあって、お金がない、ということが私にとって最大の恐怖でした。
子供の頃から、母が貯めても、父が奪っていく構図。
この借金の存在が分かった時、もう誰にも助けてもらえないんだなと思いました。
1人で生きていけるようにならなきゃ、と。
だから早く正社員の口を見つけなきゃと焦ってましたし、せっかく就職出来たのだから辞めたくなかった。
自分なんかには、ここを逃すと次はないと思ってた。


だとしても、です。


恐怖を感じるような環境に、我慢して身を置く必要は全くないんです。
自分を縛るのも守るのも、自分にしか出来ない。
苦痛や恐怖を手放して初めて、その手に新しいものが入ってくる。

手放すのが先。
それは、こういうことだったんだろうかと思います。