今日は珍しく連投。
今でこそ遠い昔の話ですが、私のやる気って、外から見えにくいんですって。
当時、私をそう評していた後者母のやる気の出し方を、何かに例えるなら
↑こんな感じです。
先頭の犬。
そしてやり切ったら
こうなります。
いちいちテンション高いです。
私にはやる気があるつもりでも、こんな勢いの人が常にそばに居る。
その勢いに飲まれる。
そのうち
「そうか、私はそのつもりでも、世間ではこの程度ではやる気とは言わないのかもしれない。」
なんて自分を疑い始めまして。
しばらく自分のやる気が出るのを待ってみたり、テンションだけでも上げてみたりと試行錯誤しましたが、疲れただけで終わりました。
そりゃそうよ。
後者のダッシュを、常にスイッチオン状態で動いてる前者がやろうったって、そりゃ無理。
生きてるだけで「やる気」なんですよ前者は。
なぜか私の周りには後者が多くて、自意識が強く、自分を押し出す、それを私にも求められる。
そんな環境で長らく生きてるうちに、自分のうっすい自意識に不安を覚えましたね。
なんにも持ってない、自分。
やる気のない、自分。
自己主張するほどの思いもない。
たまに主張しても、「私は」「俺は」に飲まれますしね。
実家出たのも、自分の居場所が侵食されて全く安らげなかったからで。
今ならわかる。
私はずっとやる気でした(笑)
何なら後者が飛んで行ったり沈んだりしてる間も働いてました。
たまに浮上してきた時に、同じテンションまで上がらないことを、やる気の指標にはしないで欲しい。
そう、後者さんにお願い。
前者はテンション高くなくてもやる気です。
勢いないのは、常に動いてるからダッシュの必要がないだけです。
前者は頑張らなくても、けっこうなパフォーマンス出せるから。
だから、
やる気ないとか、テンション低いとか、言わないで。
あ、それでも心の琴線に触れる何かを感じたらどえらいテンションになることもありますが(´ㅂ`;)