未だに「前者あるある」には鈍感なワタクシ、前者的後者の行動様式を叩き込まれた前者でございます。
今日は、前者の「上達」「出来る」の取り扱い方について。
…と言っていいのだろうか。
うん、たぶん。




昨日付けで、所属していた吹奏楽団を退団しました。
若い頃から、電池切れになるくらいあれこれやってきて、広がりすぎた世界を一度、自分の手の届く範囲まで縮小です。
今日になって初めて、先日の定期演奏会の録音を聴きました。
それで…初めて素直に思えたんですよね。


私、上達してたんやなぁ…


って。
むかえさんの「労働力ゼロリセット問題」に関する記事を読んで、そこからなんとなーく枝分かれ的に気付いたんですけど、私、楽器の演奏ですら、出来るようになったことをゼロリセットしてました…(꒪⌓꒪)


えーと、つまり。
「出来ない」ことは「課題」であり「問題」なわけですね。
例えばタンギング。
例えばビブラート。
例えば超絶面倒くさい運指(指さばきとでも申しましょうか)。
それらが、私の目の前で行列を成しているんですね。
で、一番先頭にあるヤツと取っ組み合うわけです。
で、克服出来るとステージUPして、次の課題が現れる。
多勢に無勢のこともあります。
けど、コツコツやっつける。


やっつけたものはどこに行くのか。
私の中では霧散してるイメージだったんですけど、実は私の背中側にあるんですよね。
お宝の山(知識や技術)となって。

それが、無意識下だと、目の前にはない。なので忘れてる。
なかったことになっている。


だって敵(課題)まだいるじゃん。
全部やっつけるまでは、「出来た」なんて言えない!
それに、やっつけた実績をいつまでも持ち運んでたら重くて動けない。
だから忘れる。
目の前の課題に集中する。



そーゆーことだったんじゃないかなぁ、て思います。
だから今回はいい機会だったな。
振り向いたら、けっこうな高さまで登ってきてたんですよね。
ああ、私、ここまで登ってきたんだな、頑張ったなって思えた。



だからね、いつもいつも私なんてまだまだ、なんて言う前者さんには、数年前の自分を思い出すことをオススメします。
今出来てるアレこれが出来なかった自分。
ここまで歩いてきた道のり。
それを思い出して、頑張ったね私って実感する。
ちゃんと、自分の努力や頑張りを、まず自分が認めて、ご褒美あげて。
そしたら、一個出来て二個忘れてるのにドヤ顔してる隣の後者さんにもイラッとせずにすむかもしれません(笑)


とりあえず、私は上達してました。
それに気づけて、嬉しい♡