ここのところ、自分の「感覚」を自覚する作業を無意識にやっていたようです。
幼い頃に感じた諸々を思い出しては気付く毎日。




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あのねー。



私、自分のことを「頑張りが足りない」「諦めが早い」人だと思ってました。
汗水たらして働くことを「頑張る」だと思ってた。
「自ら(物理的に)動く」ことが、人の役に立つことだと思ってた。



お掃除。
さささーっとやると、怒られた。
もっとていねいに、隅々までやりなさい、家の掃除がそんな早く終わるわけないでしょうって。



図画工作。
人より早く終わると、まだ工夫出来るところがあるだろうと注意された。



夏休みの自由課題。
植物採集することになって、たくさん集まったと思ったのに、母(後者)に「まだ頑張れる」と励まされた。
クタクタになるまでやって初めて、頑張ったねとほめられた。


親類の集まり。
同い年の無口な従妹は、お父さんが病気で、可哀想だと大人達から言われてた。
私は、無口で表情の薄い彼女も一緒におしゃべりできるように気を遣ってしゃべってたら、「ちぃちゃんは黙ってなさい」と毎回言われた。
で、「そうだ、従妹だって黙っていたいのかもしれない。」と思って、なるべく自分も黙るようにしたけど、やっぱり久々に会った親類とは話したいじゃないすか。
けど、「ちぃちゃんはおしゃべりやねぇ。」とたしなめられた。
せっかく集まっても喋るなというんじゃ、私は居ないのと同じじゃないか。
そう思って本を読んでたら、せっかくみんなと集まってるのにと注意された。



これ全部、小学生までの頃の話。






思い出しただけでもしんどいわっっ。




あんぐりうさぎあんぐりうさぎあんぐりうさぎ





子供だけど、見えてるし分かってるから。
無邪気に振舞ってる方が大人が喜ぶからそうしてただけで、ちゃんと考えてた。
中学生の頃は、早く大人になって、自分に戻りたいって思ってた。



前者だよ…
まさしく、後者に育てられた前者だよ(笑)
母や周りの大人が望む「一般コドモスーツ」を着てた前者!

母から見た私は「アルプスの少女ハイジ」だったらしいけど、それ、スーツ。一般コドモスーツ。
私はもう少し自分の中の悪意を自覚してたからなぁ。

「頑張る」「役に立つ」の定義が、いわゆる後者のダッシュがモデルだったから、そりゃ身体も壊すわな。



当時の私に言ってあげよう。


「あきらめの早さ」=「見極めの早さ」
「人より作業が早い」=「着地点を想定出来ている」
「おしゃべり」=「場を作っている」


…なんですよ。
だから、あなたはそのまんまでいい。
子供だったから、そこまで考えてるとは周りの大人は思わなかったんだよね。
けどもう大人だ。
その能力、存分に発揮していい。
努力や能力が足りないなんて思わなくていい。
けど、足りなくてもいい。
足りないところは自分で補わなくても、誰かが助けてくれるよ。
安心して、そのまんまでいなさい。



カナヘイ花カナヘイうさぎカナヘイ花