おはようございます、菓子(かこ)です。


世のなかには 割とかんたんに 解決することが

あるらしいのです。


彼とやたらしゃべるので

ケータイ料金がたいへんなことに

そりゃあもう文字どおり ほんとうに大変なことに

なっていたのですけれども


スカイプ、skypeというものをつかうことにして

あっさりと解決しました。


どんな仕くみになっているのか、

さっぱり わかりません。

訳のわからないものを使うときは

注意がひつようだと考えています。


なにせ、全くわかっていないものなのですから。

昨今の音楽プレーヤーもそうです。

ipodではないものを使っているので

ipod系の文化からは 残念ながらはなれているのですが

あれだって そうです、

全くわからないのに 使えるからと言って

さも当然のように バッグに忍ばせている。

こわいことです。


音楽プレーヤーで音楽をきくことが

わたしは好きです。


でも 最近、やめました。

なぜかって、たとえばこんな朝のおとや

夜のおと、電車のなかのおと、いろいろなおとが、

あふれているというのに、

違う音楽でふたをしてしまうのが、

もったいないと思ったのです、


そのときしか聞けない音が、

かならずあると思ったからです。

自分の意にそわないものを聞く

という必要もあるように思います。


きれいごとかもしれませんが、

でも、そう思います。


これから 母の財布を買いに行きます。


くもの巣のかたすみで、菓子でした。

こんばんは、鬱が停泊する、菓子(かこ)です。


さいきんめっきりと寒くなり、風邪なんかひいている方も多いですけれども、

うつなんかも、こころの風邪とか言われていますね、

生活というものは、いつも非日常であふれています。


さて、江國香織氏の「ホテル カクタス」を読みました。

いちばん好きな本に「ホリー・ガーデン」をかかげたい わたしですが、

「間宮兄弟」はなぜか好きになれず、さいきんの江國さんとは

相性がよろしくないか もしくは 作者で読むのは

とてもナンセンスなのかな なんて思っていましたが、

これは好きです。

「ホリー・ガーデン」のつぎか、そのうえくらいに来る感じです。


わたしは、日常がすきです。

といっても、社会人として生きていれば

まさしく 非日常になる、そんな日常がすきです。


朝おきて、ああいい天気だななんて思って

ふらりと散歩に出かけるとか、

そういうことが好きです。

そんな日常がたっぷりと、まるで上質な石けんみたいに、

きゅうと詰め込まれている、そんな本でした。

しゃぼんが ほわほわと泡をたてて、

日に照らされ、きらきらと舞う、それでもさりげなく、

そんなイメージです。


児童文学にふれている わたしとしては、

きゅうりと2と帽子が主人公 というのは

とくに驚くことではありませんでしたが、

やっぱり、いいですね、寓話ですもの。


わたしは 帽子のように 生きていかれたらなあ

なんて思いつつも、職業は2なわけですから、

世の中うまくはゆきませんね。


童話を書かねばならないのに、

なぜだか、すごくやる気がありません。

なぜかしら。


自分で自分を信じきれていないというのが

大きな原因かとは思うのですが、

むつかしいですね、

とても むつかしい。


でもわたしは日常が描きたいのです。

日常ほど、むずかしくて、それでいて美しいものは、

ないのじゃないかと思います。

もし明日、地球がほろびるとしたらどうする?

という質問は愚問かもしれませんが、

でもわたしは、胸をはってこう、答えます。


日常生活を送りたい。

それが、わたしをかたちづくるものなのですから。

そう考えると、やはり合わない仕事というものは

するべきではないのかもしれません。


日常を、きちんと描きたいのです。


くもの巣のかたすみで、菓子でした。

愛 というものは、ひどく ふしぎなものですね。


わたしは パートナーを愛しているはずなのに、

きょう ひどく自分が自由な気がして、

もう どこにでも行けるのじゃないかとさえ、思いました。


彼を本気で、失いたくないと、そう思っているはずなのに、

さざ波が、すうとひくように、あたたかいものが、

引いていくように 思えてならないのです。


これが 冷める というものなのでしょうか。


自由は孤独ということです。

だれにも縛らない、だれも縛らない、

そういうことです。


わたしは、自由だねとよく言われますが、

それは、だれも縛らず、だれからも縛られず

生きているからなのでしょうか。


おもちゃのように 捨ててしまうのでしょうか。


おもちゃのように 捨てられるのがこわくて、

捨てようというつもりで、いるのでしょうか。


こんなにも愛している、そう愛しているはずなのに。