現在の茨城県牛久市の武士だった、木村安兵衛は明治維新で武士の職がなくなった。


東京に出て、職を失った元武士に職業訓練を行う仕事をしていた叔父に「パン屋はどうか」とすすめられる。


パン屋といわれても、その時初めてパンを知ったのである。


そして明治2年に新橋で「文英堂」というパン屋をオープンした。


しかし実際にパン作りに取り組んだのは二代目の英三郎である。


英三郎は翌年に銀座に移り、店は繁盛していたが、パンはまだ一般の日本人にはなじみが薄かった。


なぜなら日本人はパンを主食として考えられないことが問題であると考え、ならば、オヤツの発想のパンならばどうか?と思いついたのが、今も絶大な人気を誇る「酒種あんぱん」である。


ふつうパンはイーストによって強力粉を発行させ、ふくらませて焼く。

この過程は饅頭と同じであることに気付いた。


ただし、饅頭を発酵させるのはイーストでなく酒造りに使う麹(酒種)で、粉も軽い薄力粉や中力粉を使う。

英三郎はパンを、麹を使ってふくらませ、饅頭のようにあんこを入れてみることにした。

酒種で作ったパンは皮が柔らかくてしっとりし、ほんのり麹の香りがして、しかも時間が経ってもパサパサになりにくい。

これでは饅頭なので、生地にバターや卵を入れ、ひと味もふた味もちがうハイカラさを忘れなかった。

真ん中に桜の塩漬けをあしらったことで味が引き締まった。


これが大当たりした。


あんぱんデビューの翌年、明治天皇に木村屋のあんぱんがお茶菓子として献上され、天皇、特に皇后が大変気に入り、以降、皇室御用達となった。


その後三代目の儀四郎がジャムパンを考案し、これまた大ヒットとなった。


あんぱんは発売から136年、ジャムパンは110年続く、超ロングセラー商品として今でも愛されている。


銀座の交差点に行くと今でも飛ぶように売れています。


パンは西洋のものという思い込みにしばられず、日本のよいところも使うという柔軟な発想があったからこそ生まれたのでしょう。

それよりも、海外の情報が薄い時に、与えられた情報だけでなく、主食としてダメならオヤツでどうだという、発想の転換が素晴らしいですね。


もしかしたら西洋と和が融合した初めての食べ物かもしれないですね。


常識にとらわれない考え方は参考になります。