日本では家の中に行くのは、お入りくださいでなく、お上がりくださいと言います。
日本人なら当たり前のように靴をぬいて家に上がります。
昔の日本では家の中は特別な空間であり、誰しもが気軽に上げれるところではなかったようです。
家の中では主と客に別れます。
主は客をもてなし、客は気を遣うことになります。
近所の人や、それほど親しくない人をいちいち家に上げていては大変になります。
そこで昔の人は、家の中に入らずとも話しの出来るところを見つけ出しました。
わざわざ家に上がるほどの用事でもなく、かといって伝言だけでは味気ないというときに重宝されました。
それが上がり框(かまち)です。
玄関の段差のあるところです。
そこで、来た人間も家側の人間も腰を掛けて話します。
つまり、ここでは同じ目線で話をすることが出来ます。
現在は、この段差がなくなったため、立ったままだと相手より上の目線になるので失礼だけど、相手を玄関に座らせるのも失礼だし、立って長時間はなすのも苦痛だし、不都合が生じます。
昔はこの上がり框のおかけで、ここでコミニケーションが取れました。
縁側も同じような意味があります。
外からふら~とやってきて、縁側でご隠居さんと話す何で言うのは時代劇でよく見ますよね。
ここでも家の中には入りません。
昔は、しきたりが厳しかった分、同じ目線で話すことが出来るコミニケーションの場を作っていたのでしょうね。
江戸時代などは身分制度などが厳しくありましたが、私的には人はみな同等、だから上から目線はいけないという自然な文化が生まれ、人に迷惑を掛けない生き方が尊重されたのではないでしょうか。
今はこの中途半端なコミニケーションを取る場が無くなった事が、勝ち負けの両極端にしか判断しない下地になってしまっつたような気がします。
日本人は、家の中でも屏風を一つ置くことで、同じ部屋なのに全く違う空間を作り出してしまいます。
でも、この屏風を取ると同じ空間の仲間になります。
全員が座っているので同じ目線になれるわけです。
最近は何かと言うと勝ち負けのように上下をつけたがる風潮がありますけど、人間のコミニティの基本はこの同じ目線にすることを意識するにあるのではないのかなと思います。
そんな空間を作れるようにしていきたいですね。