ブログネタ:冬に必要なアイテムは?
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みぞれの年末入替戦までの関東審判部は、フィールドでは原則として半袖ジャージ、アンダーで防寒せよ、ということになっていました。その当時のアンダー防寒の代表的なものは、なんとゴミ袋でした。45リットルのゴミ袋の3ヶ所に穴を開け、それをアンダーシャツの上から着込んむのです。腕は丸出し、走るとガサガサ音がするという防寒具でした。
長袖着用がOKになっても、当日のクルーのうち、一人でも長袖を持参していないと、天気が雪であろうが、氷雨であろうが、気温が0度に近かろうが全員が半袖でした。
関西審判部にいた時、審判用具をアメリカから通販で個人輸入している方がいらっしゃいました。クリニックで最新のカタログをお持ちになり、希望すると一緒にオーダーしてくれていました。ある年のクリニックでカタログを見ていたら、長袖ジャージの内側にナイロンがついているものを発見、その場でオーダーしました。
数ヶ月後、現物が届きました。写真ではわかりづらいかもしれませんが、このジャージは今でも重宝しています。問題は裏にナイロンがあるので着る時にちょっと着づらい点、特に最近は腹が出てきた上に「あんた、おっぱいあるよ」(先日帰宅した際のカミさんの発言)というくらいバストも発育(?)したので多少キツめになっていることでしょうか。
手袋もこの通販で入手しました。まだ日本で余りプレイヤーが使っていない頃でしたから、かなり珍しいものだったかもしれません。ルールの規制がない頃の手袋でしたので、内側にはベタベタする塗料が塗られていて、ボールの受け渡しには便利でした。後日娘の学校のサッカー大会でゴールキーパーの子に貸したところ、大変喜ばれました。
とにかく最近の真冬のゲームでは着膨れしています。クラッシュボウルの準決勝(大熊VS斧)が駒沢陸上で行われた時には、鏡に写った自分が達磨のように見えたものでした。
ブログネタ:ルイ・ヴィトンの思い出、教えて 参加中未完になっている「テキサス珍道中」で盗まれてしまったのがまさにヴィトンのボストンバッグでした。カミさんが独身時代に買ったものらしく、当時の価格で13~4万円だったそうです。
ファラフォーセットに似た投宿先のマネージャーは、当然弁償します、と申し出てくれたのですが、なんせダラスから飛行機で1時間かかる大学しかない町ですから、ヴィトンの店などありません。日程もアメフト審判のクリニックで詰まっているので、ヴィトン専門店のあるダラスまでは行けません。
ファラのデスクにあるパソコンで検索して同じサイズのものを探し、後日日本に送ってもらうことになりました。
カミさんに聞いたままの値段をファラに伝えたのですが、ネットで表示された金額は日本円に換算しても5~6万円なのです。現物で弁償すると言っている以上、差額を請求するわけにもいかず、カミさんには事後承諾という形になりました。
ボストンバッグの形は同じだったのですが、カミさんが買ったのはイタリアヴィトン、ファラが私に見せたのはアメリカヴィトンでバッグを補強する革の色が違っていました。私はそういうブランド物に明るくないので、製造年によっての違いで値段の差はカミさんが買った当時の為替レートと私がアメリカに行った時のレートの違いくらいに思っていました。
帰国して約1ヶ月後、会社に国際宅急便が届きました。しかも、受取人払いの関税約1万円付きでした。
ボストンバッグは新品のアメリカ製になりましたが、あれから6年、関税分の請求はしていません。
ブログネタ:働く喜びを、みんなで語ってみない?
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ブログネタ:【MVP選出ネタ】何かをやりたくない時、どうやって自分を奮い立たせる?
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1年の最終戦で膝の靭帯を切ってしまった私は、プレイヤーをやりながらマネージャーもやって、春のオープン戦では見よう見真似で審判をしたりして卒業しました。関東学連に加盟して3年が経過していましたが、公式審判は留年した年に1年間だけ登録いただいたN本さんと2つ上のK山さんだけで、当然のように私は卒業と同時に審判登録されるはずでした。
ところが私の初任地は福岡。一頃の一角獣のように審判の交通費を全額OB会が負担してくれるような財力は雉達OB会にはありません。当時の現役のHCをしていた同期のSは監督会議で審判の数が少ないことを指摘され、「M(私の本名)が福岡で審判してます」という言い訳を私が戻るまで主張し続けたそうです。
そんなわけで、私の審判人生は福岡から始まったわけですが、当時九州学連はまだチーム数も少なく、有料会場で行う試合は年末のボウルゲームのみでした。当然会場は大学のグランドが多く、久留米大、九州大でも試合がほとんどでした。社会人チームも福岡大と西南大OBが中心となったチームをはじめ、アパレル系のベアーズ、九州ヴァンガーズと3チームありました。このアパレル系のチームというのがくせものでして、土日が稼ぎ時なわけです。でも試合はしたい、そんなチーム事情からキックオフを朝の8時や7時半にして、10時までにはお店に出られるような日程をくんでいるのでした。
当時の私は車を持っておらず、主にコーチをしていた福岡大の学生にグランドまで送迎をしてもらっていたのですが、そんな秋のある日が社会人の試合と学生の試合が組まれた日程になっていました。もちろん第1試合のキックオフは午前8時です。そしてその日は、社会人の試合の後に学生のリーグ戦が3試合組まれているという超過密日程でした。朝の7時前に学生に迎えに来てもらい、会場である福岡歯科大のグランドに向かいました。社会人で仕事をすぐ後に控えているのですから、試合時間は20分のぶっこみ、順調に9時半にはゲームを終え、アパレル系のチームの皆さんは職場に散っていきました。
その頃の九州学生の試合の審判は私が中心でOBもしくはコーチやマネージャー(男)、社会人チームの人、試合のない学生で構成していました。朝8時から走っていたわけですから、後1試合笛を吹けばその日はお役ごめんと思っていた私の考えが浅はかだったのを、この後思い知らされました。そう、結局残り3試合とも笛を吹くことになったのです。後にも先にも1日で4試合審判をしたのはその日だけでした。最後の試合が終わる頃には秋の早い日暮れがせまっており、きれいな夕焼けだったのを覚えています。
翌日の朝、当然会社に出なくてはなりません。それでも身体はくたくた、頭はぼーっとして布団からなかなか出られませんでした。それを奮い立たせたものは、残り少ない有給休暇(新人には12日しか与えられていません)が、年度末までに目いっぱい使う予定にしていたためでした。当時は遠距離恋愛でしたので、手帳に次に帰るまでのカウントダウンを書いて、一日毎にそれに×印をつけるのを楽しみにしていたくらいでしたから・・・・

