ブログネタ:学校(会社)をサボったときの思い出
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私が雉になる2年ほど前の話です。

今では入学すら難しいといわれる、高田馬場から地下鉄一駅の高校に通っておりました。

大学受験に真剣になるには1年ほど余裕があり、高校生活も1年経過したという、一番「遊べる」時期を迎えていました。当時も進学校だったのですが、中途半端なワルが多少おり、私もその一員でした。朝は始業時より30分も早めに学校のある駅に着き、学校とは反対側の出口(そこは華の学習院女子の皆様が「ごきげんよう」などと挨拶を交わしながら通学されるルートでもありました)から裏道を通って、ビッグベア文学部脇の喫茶店へ行くのが日課でした。モーニングの時間帯ですが、2階は私達のためにクローズされており、そこに上がるとだいたい数人の同級生が紫煙をくゆらせています。当時1杯100円の飲み物を注文し、学生服に臭いがつかないように脱いで、まずは通学前の一服をします。学校の始まる5分前にはそこを出て、各クラスのホームルームに滑り込む、というのが日課でした。




ある日のこと、いつもどおり喫茶店の2階に上がると、同級生が数人と後輩が2人いました。「学校サボるか?」という同級生の提案に、1も2もなく賛成したのは私と後輩2人でした。4人で日中にやることといったら、「あさすずめ」=麻雀しかありません。学生の街であった我が校の周りにはジャン荘がいたるところにありました。W稲田通りを高田馬場方面に向かうと今はなくなってしまった安部球場という野球場があり、その周りには「学生1時間25円」という格安のジャン荘が並んでいました。




メインストリートから外れた路地の2階にあるジャン荘に入り、朝の9時から麻雀が開始されたのでした。中学3年の時に先輩から手ほどきを受け、それなりに麻雀が打てた私にとって、昨日今日麻雀を覚えた同級生や後輩は勝負の相手ではありません。安いレートながら、大勝ちをしてその日は午後3時ごろに帰宅の途についたのした。




実は悲劇がこの後私を襲うことになるのです。




帰宅すると、いないはずの親父がお袋と一緒に私を睨みつけています。

「ここに座れ」と親父に言われ、続いて出た言葉が「今日、どこに行っていた?」でした。

「学校に行ってたけど」と答えると「ウソをつくなっ」と一喝されました。

「N君から『今日休んでたけど体調悪かったんですか?』と電話があったぞ」とつっこまれ

「サボってました」と白状させられました。さすがに一日麻雀してたとはいえないので、喫茶店でボーっとしてたことにしましたが。




学校にはバレなかったものの、その友人Nとは、しばらく逆恨みしてしゃべりませんでした。




これ以外にも、その喫茶店を出た途端に○八幡交番のマッポに「ちょっと来い」と呼ばれて内ポケットのタバコを握りつぶして捨てたこともありました。

学校サボるとロクなことがないっていう証拠ですね。