ブログネタ:もう一度会いたいアノ人 参加中

私が現役の頃はアメフトのブームでした。国内ではヴァンガーズに続きラングラーズがチーム発足、アメリカではNFLに対抗してWFLというプロも活動を始めていました。アメフト関係者やファンは本場のプレイをナマで見たいと熱望していました。そこで日本協会はアメリカのNCAAと交渉、全米カレッジのオールスター戦であるフラボウルが終わった後に同じメンバーで日本でゲームを行うという誘致に成功しました。そう、「ジャパンボウル」です。
ハイズマントロフィーの受賞者や4大ボウルゲームで活躍した、NFLドラフトでも上位に指名される選手達が来日、国立競技場でプレイするのです。
関東学連が事務局のお手伝いをすることになりました。彼らと同じホテルに泊まり込み、役割を決めて練習のアテンドやレセプションの受け付けなどをしながら、試合当日のタイムスケジュールなどを決めていくのです。当時はすでにメイン会場や関東選手権の場内放送を担当していた私は、外人の場内放送と交互にアナウンスをすることになりました。
その年もキラ星のようなプレイヤーが来日、その中には私が大好きなUSCのRBリッキーベルという選手がいました。その年の全米カレッジRBでは記録を更新したトニードーセットには遅れをとっていたものの、プロフェッサー健のTV中継などで日本では一番知られたRBでした。事務局の特権を活かして色紙を用意し、まずはハイズマントロフィー受賞のドーセットにサインを求めました。色紙の真ん中、やや上段に書いてくれました。続いてベルに頼むとドーセットの真下に同じくらいの大きさでサイン。やはりライバル意識があったのでしょうね。
試合も無事終わり、彼ら2人はもちろんドラフト上位でNFLに指名され、プロになりました。

数年後、まだ20代の若さでベルが死亡したというニュースを聞いた時にはびっくりしました。サインをくれた後の握手はまるでグローブのような手でした。見上げるような身長と大きな瞳。私のことなど覚えていないでしょうが、もう一度逢いたいフットボーラーです。