ひさしぶりだ。
凄い久しぶりというか、ブログの存在すら忘れてましたが、
ちょっといじってみようと思い開いてみました。
(ブログって更新しないでいる人、どんだけいるんだろ・・・)
何だかんだ、会社も実状の三期目に突入できました。
これも周りの方々のご尽力のお陰です。
右も左も分からぬまま起業してみましたが、
何だってその気になればできるものだと、最近よく思います。
で、少し先が見えてきた時期にあって、来月に4社で共同組合を発足し、
それに続く形で、別会社を立ち上げます。
「二足の草鞋」ならぬ「三足の草鞋」を履くことになりますが、
もう一度、気を引き締める意味も込めて、自分に鞭を打ちたいと思います。
3月の疲れが祟り、体が言うことを利いてくれませんが、
たぶん、俺は仕事が楽しくて仕方ないんだなぁ・・・とつくづく感じます。
「こうなりたい!」というビジョンを具体的に行動に表していく
段階に来たのかな!?
もっともっと頑張りたい。
広島ワンピースコンサートbyZEEBRA
dede
広島から帰って来ました。
忙しなく短い滞在時間でしたが、本当に多くのことを感じました。
分かっているようで分かっていなかった過去の出来事。
話しで聞いているよりも悲惨な遺産を目の当たりにし、
大切なことが見えた気がします。
いつか子供が生まれたら、この歴史を教えるために
必ず広島に連れて行こうと思います。
広島には過去の負の遺産と将来への大きな遺産があるようです。
正の遺産と捉えて考えられる自分たちは恵まれている。
だからこそ そこに甘んじないよう、しっかりと考えていきたいと思います。
で、広島で運良くZEEBRAのLIVEがあった!!
しかもフリーで!!
やっぱり良いね~。。。
しきりにZEEBRAも平和について話していましたけど
同意見です。
日本は唯一の被爆国で、こんだけの悲惨な歴史があって
それを忘れてしまうのはあまりに罪なことだと思う。
そうは言っても現実的に毎日のように平和について
考えていろというのは今の日本では当たり前過ぎて難しい。
だからね。8月6日
この日はホント、全国民が平和について真剣に考えても
いいと思う。
そんな願いもあって、このLIVEはフリーで行ったようです。
これってさ、マジでカッコいいでしょ!?
俺がYOUTUBEのアップの仕方を知っていたら、LIVEの様子を
公開すんだけどな・・・
残念。。。。
広島の原爆
さてさて、8月に突入しそろそろ夏らしくなってくるのかな!?
今週の土曜日から広島に行きます。
6日の原爆の日に平和記念公園で黙祷してきます。
というのも、今年が20代最後の年になる俺は、今のうちに日本の根底にある
出来事を少し真剣に見なきゃいけないなと思ったからです。
で、何で広島かというと、まだ一度も行ったことがないということと、
昨年、亡くなった知り合いのおじいちゃんが被爆者で、当時の話しを
聞いているうちに、ちゃんと見なきゃダメだと思ったからです。
今、28歳で年齢の割には色々な方に会わせて頂いて、
その場所場所で「若いね」と声を掛けてもらいます。
25歳、26歳の時は、その言葉が嫌で嫌で仕方なかったけど、
最近では褒め言葉だと思えるようになってきました。
そうしたら、それは逆に自分にも驕りが出るらしく、
「まだ何年ある・・・」とか「ここまで持って来れたら、まあ合格でしょ」
みたいな、訳の分からない慰めみたいなことを自分に言うようになりました。
これってクソでしょ!?って自分でも本気で思う。
本当に28歳が若いか?って考えると、そんなのはこの20年、30年の話しで
明治維新においては20代半ばで、多くの人が国のことを考えて行動し、
亡くなったりしたわけで、こと最近の第二次世界大戦においても今の
自分より若い人達が色々なことを思って戦地に赴いていった。
それが、ほんの70年足らず前の話し・・・
で、ちゃんと考えてみた。
それこそ、15や16歳の子達が国か家族かの犠牲になったんです。
やりたいこともやれずに時代背景が悪かったばかりに
亡くなった人がいるんです。
それが自分より若い人達によるものだとすると、
今の自分はかなり甘いと思うわけです。
何でもできるのにやらないってのは、本当に無駄にしていると思う。
それなりに同世代よりはやっているのかも知れないけど
だからって、この辺でいいだろ!?的な考えや妥協も自分自身としては
許せないものがある。
生き方どころか、死に方まで決められた時代があって
犠牲になった人達がいて、その上に今の自分があるなら
もっともっと、頑張んなきゃって思うんです。
だから今年、広島に行って少し考えてみようと思います。
亡くなった、おじいちゃんとはたくさん話したことがあるわけじゃ
ないけれど、凄く好きだった。
おじいちゃんは、原爆投下の日、呉港にいたそうです。
8月7日に人間魚雷に搭乗する予定だったそうです。
原爆が投下されたため人間魚雷には乗らなくてよくなりましたが、
受けた傷は心身ともにとてつもないものだったと思います。
亡くなる1年前、「俺はもう十分生きた。」
と言った言葉が凄く印象に残ってます。
そう言える生き方をできるよう、頑張ろう。。。