情報と言う名の暴力 | 小川充オフィシャルブログ

情報と言う名の暴力

休み明けの仕事で一番辛いこと、

それはメール・チェックです。

国内・海外から大体一日に200通くらいのメールが来ていて、

社内メールも含めると、

連休明けの朝にはおよそ500通くらいのメールに目を通すことになります。

それで大体、半日は潰れてしまうのです。


そうした自分を相手としたメール、

そうではない不特定多数の人に送られたメールの中で、

本当に自分にとって重要なもの、関わりのあるものは

10分の1くらいでしょうか。

スパム・メールも本当に多くて、

それを削除するだけでもうんざりなのです。


もちろん、こうした情報は

仕事をしていく上で無くてはならないものです。

メール・チェックを怠ったばかりに

ビジネス・チャンスを逃しては話になりません。


ただ、時々このあまりにも多い情報に、

自分が飲み込まれていくような感覚を覚えることも事実です。


自分が宛先になったメールは仕方ないとして、

そうではない不特定多数に向けられたメール、

時にそれらには相手のことを考えない

暴力的なものを感じることさえあります。

それはたまに役立つ情報を提供してくれることもあるのですが、

乱暴に言えば大体はパッと見てゴミ箱に捨てる、

そんなものばかりなのです。


ただ、こうしたメール攻勢にいつもさらされていると、

それが自分にとって有用か無用か、

短い時間の中で判断する情報処理能力も

知らず知らずの内に養われていっていることは、

実感として感じます。

災い転じて福となすという言葉がありますが、

そう考えるようにしています。


今の時代、情報は有り余るほどあります。

大切なのは自分に必要なもの、

そうでないものを選別する能力です。

それと、自分が欲しいと思う情報が

どこを探せば出てくるのか、

そうした嗅覚や引出しを数多く持つことです。

沢山の情報の中から、

的確に短時間で欲しい情報を引き出すこと

これが重要なポイントなのです。


これを逆の立場に立って考えれば、

不特定多数の人にやみくもに宣伝したり

情報提供を行って興味を抱かせること、

これがいかに非効率的で

また相手のことを研究しない愚かな行為か

分かるかもしれません。


今はマスを相手にする時代ではありません。

ピンポイントで必要な人に情報を送り、

モノやサービスを提供する時代なのです。


今日は何だかビジネス論的な話になりましたが、

メールというのは電話と違って

自分の都合で一方的に流すものなので、

より相手の立場に立って送る

そんな気遣いも必要ではないかなと思うのです。