これからのDJスタイルとは? | 小川充オフィシャルブログ

これからのDJスタイルとは?

先週金曜、南青山のEVERで初来日DJをした

Spiritual Southのインタヴューをしてきました。


元は2人組だったのですが、

現在はMark Richardsonのソロ・ユニットとなっています。

Markはロンドン出身ですが、

オーストラリアにも数年住んでいて、

その後ロンドンに戻って音楽制作を開始。

以前はグラフィック・デザイナーだったそうで、

またパーカッションもマスターしたそう。

そんな諸々の話しをしてくれました。


現在、ファースト・アルバムを制作中で、

Raw Fusionから来春にリリース予定。

インタヴューの模様は、次のリリースに合わせて

Dance Music Reportに載る予定です。


で、インタヴューとは関係無い話ですが、

今回のDJで彼は1枚もレコードを持ってきていません。

持ってきたのはラップトップのみ。

トラクター(農作業で使うそれではなく音楽ソフトのこと)を使い、

PCにダウンロードしたMP3やWAV音源でDJをしたのです。


でも、これは彼に限ったことではなく、

今や世界を飛び回る欧米のDJ間では当たり前のこと。

ファイナル・スクラッチというソフトもあり、

こちらはパソコンの音源を特殊なレコードに信号として伝え、

まるでレコードを扱うようにDJが出来るもの。

(ということは、スクラッチやバックスピンも出来るのです)


このファイナル・スクラッチやトラクター、

最初はテクノやエレクトロニカ系のDJ間より広まり、

今ではヒップホップ、ハウスのDJも大体使ってます。

日本ではまだ少ないのでしょうが、

海外ではQ-Tipやラージ・プロフェッサーといった、

まさかこんな人までが、というようなDJも使っています。


これらが使用される一番の理由は、

重いレコードを持ち運ぶ必要が無いこと。

それはそうでしょう。

僕も以前、海外でDJをやったことがあるのですが、

レコード・バッグ2つにスーツケース、

それで帰りにお土産などを買った日には、

ほんとよく日本に帰ってこれたなと思います。

まさに体力勝負の世界なのです。


それと、航空会社によっては

持ち込み荷物の重量オーバーで

何万円もの追加料金を取られることも。

それを考えると、パソコン1台でDJが出来る今の時代、

何て楽チンなことか。


今から4、5年程前から急速に普及してきているのですが、

当初問題とされていた音質も向上し、

今では音質の悪いアナログ盤でプレイするより良いことも。

また、アナログは音の劣化があるのですが、

デジタルにはそれがほぼ半永久的にありません。

高いレア盤もデジタルに落として持ち運べば、

紛失や破損の危険も無い訳です。


それと、簡単に音源を交換出来るので、

今回、僕もMarkから彼の未発表の音源をCDRに焼いてもらいました。

(音源のコピーは著作権に関わる問題も孕んでいるのですが、

長くなるので今回は特に触れないこととします)


と、いいことずくめなのですが、

もちろん色々と音楽業界では波紋を呼んでいる訳で、

レコード会社やCDショップ、レコード・ショップにとっては

死活問題に関わる新兵器でもあるのです。


DJにとっても賛否両論があり、

昔からDJをやっているアナログに思い入れがある人にとっては、

やはり馴染めないところがあるようです。

例えば、僕はそうなのですが、

アナログ盤のジャケットから色々と情報を汲み取るタイプなので、

かける曲を選ぶ際、

ジャケが無いとどうもイメージが沸かないのです。

このブログのタイトルである『エサ箱の片隅から』のように、

DJブースのエサ箱でレコード盤をパラパラと見ている時に、

インスピレーションが出てくるのです。


これから先、DJのスタイルはどう変わっていくのでしょう?

ひょっとしたらDJブースからエサ箱が消え、

アナログ盤やCDが無くなり、

音楽はダウンロードで聴くもの、

という時代が来るのかも知れません。


音楽は聴く為だけのソフトではなく、

ジャケットにパッケージされたモノとしてコレクトするという側面もある為、

(現にMarkは色々とアナログ盤を買っていきました)

アナログやCDが全て消え去ることは無いとは思うのですが、

でも淘汰はされるでしょう。

つまり、ダウンロードで済ませればいいものと、

作品として手元に残しておきたいものと。

形として残すという行為、

文化とはそうしたものではないかと思います。

ラップトップに何千曲とダウンロードしようとも、

それは単にDJの為の商売道具に過ぎず、

文化として残るものではありません。


こうした文明の利器により、

音楽に接する形もどんどんと変わろうとしています。

それが良いことか、悪いことか、

今は僕も分かりません。

でも、そうした時代だからこそ、

ハードの変化に対応しつつも

音楽の本質にあるものは見失わないようにしたいと思います。