内なる源という表現だと身体の内側という誤解が生じやすいので、源(ソース)という表現に変更はじめからそうすりゃ良かったのかも知れないけどね。ただ、入り口としては身体の内側から入った方が分かり易いのは確かで、いきなりすべての時空を満たしている何かを体感するんあて不可能だから、初心者だった頃の私には内なる源で良かったのだろう。でも、いま体感できる様になってくると、内なるという言葉が邪魔になってきている感じ。実情に合うのは、源(ソース)の方ですね。まあでも、ほんの最近まで内なる源で問題無かった位の違いだから、始めのうちは内なる源という認識でも、あまり問題はない様な気はします。
内なる源の内側っていうのは、身体の内側という意味とはニュアンスが違う空間的には体の内側と重なるけど、身体の内側というのは、端的に言えば原子の隙間のような感じで。原子って、隙間だらけですからね。物質って中身が詰まっている印象ありますけど、スカスカです。隙間を意識することが、内なる源にアクセスする入口としてはわかりやすいと思います。