後輩想いの大先輩。
おはようございます。
遂にgymnopedia折り返しました、ミヤタユーヤで御座います。
昨夜の公演の直前、或る方からチケット予約の連絡が御座いまして。
えーと。
何と言いますか。
あの後輩想いの大先輩でした。
千秋楽に来てくださると。
ひー。
プレッシャー。
今日も作品をブラッシュアップして、待ち構えようと思います。
ご挨拶フルバージョン。
こんばんは。
初日明けましてもう2日目も第4ステージが終了してしまいました。
ミヤタユーヤで御座います。
会場でお配りしておりますパンフレット。
そちらには、この公演に寄せた僕の挨拶が掲載されております。
僕、遅筆な上に、書き出すと長いのです。
挨拶も、本番前日の26時頃書き上げ、そしてスペースの都合もあり、かなりばっさりカット致しました。
しかし、その内容、本当はお客様にお伝えしたい内容で御座いました。
僕の、大事な部分のお話で御座いました。
ですので。
えぇ。
こちらに書きます。
以下、当日パンフレット未掲載部分で御座います。
携帯電話やパソコンで文章を書く際の『予測変換機能』、便利で御座いますよね。
ただ、その機能は時として言葉の重みを減らしてしまいます。
きっと、読んでいる人には気付かれないレベルでは御座いますが。
何せそれは
「自分の口で言ってない」
「手で書いてない」
「入力していない」
ひょっとしたら
「思ってもいないモノ」
を、形にしてくれてしまう機能なのですから。
例えば、「ありがとう」と五つの音を連ねなくても、その意を表明出来てしまうのです。
「今日は」と入力すれば「ありがとう」そして「ございます」更には「。」時には「!」
僕がモタモタ喋っているのより、よっぽど早く表示されてしまう。
言うなれば若干の“インスタント感”が出てしまいます。
とはいえ、僕はこの機能を批判したい訳では御座いません。
だって、便利ですから。
便利さと、そこに付随する不健康性の狭間でもがくのは、物質的な豊かさを追い求めつつも魂の存在を信じる、人間の常で御座います。
結局は、付き合い方次第。
大事なのは使い分けで御座いますよね。
僕は、大切な言葉だけは、予測変換に出ていても、全部入力するようにしています。
その大事な言葉の、一つ。
特に、大事な、
「トモダチ」
という言葉。
いつも、カタカナ表記にしております。
その理由は“最後まで一文字ずつ打たないと、変換機能に出てこないから”で御座います。
この物語には、僕のトモダチの言葉が大量に出てきます。
ごめんよ、勝手に使ってるわ。
そう、僕という人間は、たくさんのトモダチの寄せ集めで出来ています。
影響受け放題です。
それを「ブレている」とか「芯が無い」と仰る方もいると思います。
しかし、その要素を否定したならば、僕は空っぽです。
大好きな人たちから受け取った心の欠片たちが、僕の心になっている。
それを誇らしく思い、だからこそ、その自分を信じて、高い次元へ進む。
この舞台の90分は、僕が人生で一番ミヤタユーヤである、濃密な時間で御座います。
そこに生き活きている僕のトモダチたちを、感じて頂けたら幸いです。


