娘が学校から帰宅するなり、珍しく怒り口調で話した。
聞けば、放課後に「30分立っとけ!」と、宗教の授業を担当する女教師から言われた。
理由は宿題をやってこなかった罰だと言われた。
娘は「やりました。授業中に見せました。やってこなかったのは私の隣に座る中国人男子生徒で私ではありません。先生、私と彼の区別ついていますか?」と聞いたそう。

教師は焦った顔になったと娘は言う。
そうして、教師は「すぐに私にもう一度宿題を見せなさい」と言った。
娘はカバンから宿題を見せた。
一枚でよい宗教の宿題を3枚も書いて持っていき、しかも教師には見せたのに、アジア人顔に区別が付かないから、男子生徒とごっちゃにされた事が娘には傷ついたのだ。

私は娘に聞いた。
「先生、あんたに謝った?」と。
娘は「軽く…」と答えた。
私は娘に「あんたが、その謝罪を許せないならお父さんに話して教師からちゃんとした謝罪をもらうけど、どうする?」と聞いた。
娘はしばらく黙ったが「いいわ、こんなの小学校の時もあったし、これからもあるとお申し…それに、多宗教を教える教師がアジア人の男女の区別も自分の生徒の判別も付かないなんて、教師として尊敬できないと分かって今後付き合っていける」と言った。

それでも娘は傷付いているのは私にはわかる。
小学校の時も、4歳から卒業までずっと見てくれていたベテラン教員アシスタントの先生が、卒業までうちの娘の名前だけ、ずっと「メヤ」と呼んでいた。
理由は自分の娘の友達がメヤで、顔が似ているからだと何度も弁解した。
ついついメヤと呼んでしまうと…
子供が傷付いているなど知りもしなかった。

その経験が小学校卒業まであるから、娘は「イギリス人は両極端な気がする。馴染みの無い名前や国籍、肌の色、発音にいとも簡単に順応できる人と、何十年経過しても全く受け入れられない人と…」と言う。
「だから今回は流す」と娘は言った。

こういう事はこれからもある。
それも含みで、ここの生活である。
強くなってきた我が娘に感謝。
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