金曜日、娘が帰宅しいつものようにケーキなど食べながら今日の出来事を聞いた。
例の問題女子が怪我?をし早引きしたと娘が言った。
ハイスクールに入り、月一ペースの頻度で彼女は保健室に行くようになった。
ある時は膝が痛くて歩けない、ある時は酷い頭痛、今日は足首を鉄骨に挟んだと言い保健室に行った。
これが不思議に必ず木曜日に起こる。
学校側は病院に行くよう勧める為、母親が昼休みに迎えにきて連れて帰る。

結局いつもなんの問題もない。
救急に行き何時間も待ち、結果は医師から「何故痛がるかわからない」で月曜日には学校に戻って来る。
これが9月から、ほぼ毎月起こるから、同級生からは「また大げさが始まった」と言われる。

今日その話を聞きながら、私は木曜日に着目した。
木曜日は問題女子の母親が近くの学校に勤務している日であるため、すぐに来てくれる日である。
それを知っていて、必ず午前中に痛みを訴えるのではないか…と私はふと思った。
木曜日なら母親に迷惑をかけない日である…のではないかと思った。

昼休みに迎えに来てもらい、そのまま病院の救急に向かう。
何時間か待たされる事は当たり前で、しかしその時間は母親と二人で過ごせる時間であり、母親が自分を心配してくれる独占できる夢のような時間である。
のではないかと、私は勝手にそう感じた。

私は母親から愛情をかけて育てて貰ったから、もしかしたら違うのかも知れないが、私が今でも強烈に残っている記憶がある。
それは私が小2の時の事。
私は風邪を引き熱も扁桃腺も腫れたのだと思う。
その日は月曜日で、両親が経営する美容院は定休日だった。
月曜日は必ず母親はヘアの講習に出掛けていたのであるが、その日は講習を休んでくれた。
母は私を近所の耳鼻科に連れて行ったが、地元では有名な耳鼻科で例のごとく待合室は人でいっぱいであった。
私は自分がとにかくグッタリしていて身体が熱く座っていることも辛く、待合室の椅子で母が膝枕をしてくれた事が夢のように嬉しかった思い出が今尚ハッキリと記憶にある。
そのまま眠り、治療を受け自宅に戻った記憶で終わっている。

それが私の中で強烈に嬉しかった記憶としてあるのは、母が行かねばならない用事を休んでくれた事、自分の為に休んで寄り添ってくれた事が本当に嬉しかったからだと思う。
今思えば、母が忙しく子供だった私は気持ち的に甘える事の我慢していた事で、それが嬉しかった記憶として残っているのかもしれない。

母は私がそんな事を嬉しかった記憶として残っている事すら知らない。
しかし、子供とはそんな事が夢のように嬉しい事だったりすると、私は自分がそうだったから分かる。
今回も問題女子は車椅子で学校を去ったが、病院では問題なかったのだそう。
仕事で忙しい母を持つ娘の気持ちが、確かにそこにはあるような気がする。
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