何度経験しても、その楽しさが分からないハロウィン・・
幼少期にハロウィン文化のある国に育っていたら、もっと楽しめ受け入れられたのだろうか・・
ハロウィンは本来、楽しいものなんだろうか・・昔ある本に「ハロウィンは日本の盆と同じである、そう理解すればよい」と書いてあったのを見た。

よく分からないままオーストラリアに住み、夜1人で家にいたら次々と誰かがドアをノックして来て、ただただ怖い思いをしただけに終わった。
そんなまま日本に戻り、何故だか英会話学校に就職。
生徒さんが喜ぶからと、「ハロウィンパーティ」をするのが恒例となっており、学校が終わった後に仮装パーティをやってはみるが、しかし私がハロウィンの楽しさを知らぬまま、ただ外国人講師たちだけがはしゃいでおり、それを見てはしゃぐ生徒の図があるだけで、結局よく分からないままであった。

そうこうしてイギリスに嫁に来て、何かハロウィンの日は大量の菓子を買って待ってます的な意味合いで準備し、我が子がある年齢に達したら夜な夜な近所に菓子をもらいに回るという、私にはどうしても厚かましい感じでスイマセンね、こんな暗く寒い夜に・・と義務的な感覚がどうもぬぐえないまま今日に至る。

だから今まで一度も子供と一緒に近所を回った事がなく、夫に「今年も行くの?」と聞き、「夫が「当たり前やがな。これが文化や。高学年にもなれば、もう行かなくなるから、ほんの数年のハロウィンの思い出やで」と言うのを聞くと、ああ・・そうなのか・・と思うのである。

しかしながら、小学校時代をスコットランドの北の果てで過ごした夫が言うには、「その地域だけかその時代だったかは知らんが、当時はハロウィンとは呼ばず、しかし家々を回って歌を聞かせ、ダンスなどの踊りを見せ、それが良かったらお菓子をもらうという事をせねばならなかったらしい。
だから回る方も大変であるが、尋ねられる側も何度これをこの夜に見なければならないのかと思うとウンザリ来るかと思うが、あまりにも田舎過ぎて徒歩で行ける距離が知れているのと、街頭が皆無で頭に付けた懐中電灯と、手に持つ懐中電灯だけで田舎道を歩くため、行ける家の数がたかだか知れているのと、何より向こうから同じ格好で歩いて来る子供に遭遇した時の怖さたるや、失禁モノだったと聞く。

まあ、これもイギリスで子供を持つ以上、受け入れなければならない文化なのだと思い、今年もかぼちゃをくりぬき始め、菓子を大量買いする私である。

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