昨日の記事から、まさにタイムリーな事があった。
昨日は私の学校の日。
休憩時間中、前に座っていた女生徒から「名前何?」と聞かれた。
自分の名前を答えると、彼女は「私はブレナ。宜しくね」と言った。

そこから担任の先生が「そう言えばニュースで見たけど、東北大震災のために世界中から集められた募金、ちゃんと行き渡って無いって・・本当なの?まあ、あなた日本に住んでいないから知らないかも知れないけど・・」と言った。
先生は少し笑っていたから、冗談めいて言ったのかも知れないが、事実そんなニュースはカーライルに住んでいたって私の耳にも入っているわけで、「前に被災した人が、十分のお金が来ていないと言っているのをTVで見たことはあります・・」としか答えられなかった。

すると先ほどの女生徒が「それって誰か追及しないわけ?」と言った。
「さあ・・追及してんのか否か・・そこは分かりません」こう答える自分が恥ずかしい。

別のおばちゃん生徒が「その募金が消えてるって事?それって詐欺やん。返金してくれって言われても仕方ないやん」と言った。
まさにその通りである。

募金する人は「返金せー」とは言わないであろう。
しかし、気持ちとしてはそうなるであろう。

「そのお金はどこに行ってんの?」「誰かが使い込んでるってこと?」「どうなってるの?」とどんどん質問が押し寄せて来る。
苦笑いの自分。
昨日のようなニュースが知り渡れば、ますます不信感、いや日本に対して嫌悪感を持たれてもおかしくない・・などと心の中で思う。
復興資金もピンハネする国なら、募金もピンハネしていると思われてしまうかも知れない。
まさに最悪の印象を持たれてしまう。

今、見たいニュースは自分の言葉に翻訳して見られる時代である。
知られる事は時間の問題かと思うと、身構えしてしまう。

私のように、日本人の少ない場所に住んでいて、ましてや学校に日本人が1人の場合、この手のニュースが流れると、「なぜ?」「どうして?」と質問が集中する。
別に相手は私を攻めているわけではないが、知りたい、追求したい人というのは必ずいて、そこに答えがないと妙な空気で終わってしまう。
集められた募金が、確実に行き渡ったという事実を実際に受け取った人がわざわざ発信するでもないし、わざわざ調べる事もないが、募金だけは100%クリアであると信じたい。

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