イギリスに来てから、ずっと疑問に思っていた事がったが、最近それが分かった気がする。
私はイギリスで2つの会社に勤めたが、どちらの社員達も職場をとにかく整理整頓しないし、ゴミなど絶対に拾うことがない。
特に社員が使用する休憩室やロッカールームに至っては、ヒドイという言葉を超えているから、表現のし様がない。

食事をするテーブルには、誰かがはいてきたスニーカーが平気で置いてあったり、人のカバンの上に塗れた傘を置いていたり、書き出すときりがないが、こういう考えられない非常識が当たり前である。

なぜ皆で使う場を、少しだけでも良いからお互いが気にかけられないのか、本当にこの3年間、不思議で仕方がない。

思うに、私が1日の仕事を終える際、片付け、整理をして退社するのは、日本の職場では当たり前な習慣なのである。
が、これがイギリス人に出来ないのは、子供の頃から学校で義務付けられていた、「そうじ時間」がないからなのではないかと思う。

何気に学校の業務として、組み込まれていた「掃除時間」であるが、これは非常によい文化だと私はあらためて思う。

他にもあるが、私の小学校は給食当番が食器や牛乳瓶を返却しにいく際、必ず給食のオバサンに一言「ご馳走様でした。有難うございます」と言わなければならなかった。
これも、当時は担任に「言え」と言われているから言っていたが、今思えば大切な習慣なのである。

掃除など、当時はイヤイヤさせられていたが、自分達が使用する教室、廊下、トイレ、実験室などを掃除することで、必然的に「ちゃんと使おう」みたいな意識が、自然と植えつけられていったように思う。

イギリスには「掃除時間」がない。
子供に与えられる「○○係り」みたいなのは、日本と比べると圧倒的に少ない。
「クリーナー」と呼ばれる掃除の人がいて、ゴミ箱のゴミも捨てに行ってくれるし、机も拭いてくれるから、子供も大人も何もしなくて良いのである。
これが逆効果で、ゴミが目の前に落ちていても「クリーナーが拾えばエエ」という考えがあって、自分がするという感覚がないに違いないと、私は考えるのである。

イギリスは階級社会で、職業、住んでいる地域、出身校、使う単語で人を区別する文化が根強い。
だからクリーナーのような、掃除の仕事をしている人に話しかけることもなく、感謝の言葉を言う人もなく、名前も覚える事はない。

私がイギリスで働き始めた時、旦那から「クリーナーの人を見下すな。挨拶をし、絶対に名前で呼べ、そして何かしてもらった場合、例えば窓を拭いてくれたなら、『ありがとう』と言え。」と言われた。
挨拶しない人が多い中、旦那はこの見下す文化が大嫌いなのである。

外国に住み、今更「掃除時間」があって良かったなどと思うとは、考えてもみなかった。
職業のレベルをどうこう言う前に、人として守るべきルールを実行して欲しいと思うが、言っても無駄なのである。