知名度の低い有名心理学者 | LYNX

知名度の低い有名心理学者

大学4年にもなって心理学に異様に興味を持ち始めた。

これも学科HP開設のために色々調べているからなのかもしれない。

 

ユングやフロイトと並ぶ心理学の三大巨頭の学者さんを知っているだろう。

もちろん俺は知らなかった・・・。

その人の名はアドラー。

 

彼が何をしたって。

彼はどうやら劣等感という概念を発見した人らしい。

ウィーンで生まれたアルフレッド・アドラー(Alfred Adler 1870-1938?)である。

ちなみにアドラー自身にくる病という器官劣等性(肉体的なハンディキャップ)があったことが、劣等感の発見につながったとされているらしい。

彼の身長は150cmしかなかったそうだ。

 

現代でいう「劣等感」とは、他人と比べて自分が劣っていると感じるものだ、彼のオリジナルの概念とは少し違っている。

 

理想の自分に対して現実の自分が追いついていない、という不足感がアドラーのいう劣等感である。

他人とではなく、自分と比較するのである。

現実の自分がいくら努力し成長しようが、理想の自分像はいつも絶対的に上にある。

一生かかっても実現不可能な架空の自分像に対して、現実の自分が劣っていると感じるのが「劣等感」であって、それは完璧な自己への欲求から来るものだ。

 

  禅の世界に「長い竹、短い竹」という公案がある。

修行僧の清平が師の翠微に、達磨大師がなぜ中国に禅を伝えたかを問うた。翠微は弟子を誘って竹林に行き「この竹はこんなに長いなあ、あの竹はあんなに短いなあ」と言った。
まさしく論理的な思考の範囲を超えた禅問答である。なんのことやら手がかりさえ見つからない。しかしこの解答が、奇しくもアドラーの「劣等感」と一致している。
 竹林には年老いて枯れかかった竹もあれば、世代を交代した若い竹もある。背の高いのもあれば、低いのもあってどれひとつ同じものはない。美しいもの醜いもの、利用価値のあるものないもの。それぞれに独自の面目と立場があって、優劣は同じひとつの世界にある。平等の中に優劣が含まれて、すべてはひとつの輪の中。決して二元が対立する世界ではない。この象徴するものは竹も人間も同じはずだ。
 もし理想の自分というものが存在するなら、理想の竹とはどんなものだろう。
筍は竹ではないのか、若竹もまた理想の竹ではないならば、老竹が理想の竹なのか。
竹のいつが完成された竹といえるのか。ただ年齢を経るだけで完成するものではないし、完成された竹だけが竹なら、完成されてない竹は竹ではないことになる。つまり「理想の自分」だけを本当の自分として認めるなら「現在の自分」は自分ではなくなってしまう。アドラー心理学の基本も未完成な自分を認めることである。

 

詳しくはこちらをごらんくださいな。

 

http://www5d.biglobe.ne.jp/~philter/adler.htm

 

世の中にはまだまだ自分の知らないことが溢れている。

うむうむ、常にこれ勉強なり。

下は向きたくない、上を見ていたいからだ。