自然破壊とは、人間によって手を加えられる事がない、あるがままの状態のもの(すなわち自然)に、人間の手を加えて破壊することをいう。人間が直接的に手を加えて破壊すること(森林破壊など)もあれば、人間の活動によって間接的に影響を受けて破壊に至る(大気汚染、気候変動など)こともある。
「あるがままの自然」に人間の手を介入させること自体が「あるがままの自然」ではないとみなし、人間の手を加えてしまうことそのものを指すこともあれば、「人間が手を加えた自然」さえも利用できない状態にまで破壊されてしまう場合もあるが、いずれにしても人間の都合によって自然が変えられてしまうことには変わりはない。
環境問題の1つであり、環境破壊と表現することもあるが基本は自然破壊という。
環境保護論者が指摘しているところでは、産業革命に加わった大半の国がキリスト教国であったことからユダヤ・キリスト教的伝統が自然破壊に関する議論をする上での拠り所になっているのではないかという。『旧約聖書』には神の言葉として人間に「子を生んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。そして、海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上のあらゆる生き物を服従させよ(創世記1節28章)」という記述があり自然を支配するという西洋人の考えに影響を与えていると、リン・ホワイトはレイチェル・カーソン『沈黙の春』出版の5年後の1967年に主張した。フレデリック・ターナーはさらに発祥地パレスチナの荒野の荒々しさとの対立から「人類はまさにその地において自然の世界を支配しようとする夢を設定した」としそれが『旧約聖書』に反映されたのだという。この傍証としては半乾燥地域での牧畜が人間の管理色の強い面が挙げられる。
これらの指摘には一面の真実はあるかもしれない。だが、事実関係としてはキリスト教の教義よりも利潤追求資本主義の膨張が大きな役割を果たしたというのが正しいであろう。