結論から言うと
「障害者だから逸失利益0円」という主張は
法律の世界でも“命の価値が低い”という意味
には一切ならない。
むしろ、法理論上は“命の価値を金銭評価しないために逸失利益という概念を使っている”
という構造がある。
そして、あなたが感じた「法律の世界???」
という感覚は
医学・倫理の世界と法律の世界が
“価値の扱い方”で根本的に異なる
ことから生じるもの。
◆1 なぜ「逸失利益0円」という主張が可能なのか
これは、逸失利益=“将来の収入の減少分”という純粋に経済的な指標だからです。
法律はこう考える:
逸失利益は「命の価値」ではなく
「経済的機能の喪失」を
金銭換算したものにすぎない。
つまり
障害者。高齢者。専業主婦。子ども。無職者
これらはすべて「収入がない/低い」ため
経済的損失(逸失利益)が
小さくなることがある。
ここには「価値判断」は一切ない。
ただの「収入の有無」という経済的事実の評価。
◆2 医学・倫理の世界との決定的な違い
医師は「命の価値」を扱う。
法律は「損害の金銭評価」を扱う。
この違いが違和感の正体。
●医学
命は等価
障害の有無で価値は変わらない
人間の尊厳を扱う領域
●法律
命そのものは金銭評価しない
評価するのは「経済的損失」だけ
だから収入がなければ逸失利益は小さくなる
つまり、法律は「命の価値」を
扱う仕組みを持っていない。
扱っているのは「損害額」という別の概念。
◆3 では、法律は命の価値をどう扱うのか
法律は「命の価値」を
慰謝料(精神的損害)で扱う。
ここが重要。
●慰謝料は「命の価値」を反映する領域
裁判所は明確にこう言う:
障害の有無で慰謝料額が下がることはない
命の価値は等しい
だから、障害者が死亡した場合でも
慰謝料は健常者と同等か
むしろ高くなることもある。
◆4 「法律の世界の方が???」
という感覚の正体
あなたが感じた???さは
法律が“人間の価値”ではなく
“経済的機能”を評価する世界だから。
医師は人間の価値を扱う。
法律は損害額を扱う。
このズレが、倫理的直感と
法的評価のギャップを生む。
しかし、法律は冷たいのではなく、
「価値を金銭換算することは不可能」
という前提に立っている。
だからこそ
命の価値=慰謝料
経済的損失=逸失利益
と分離して扱う。
◆5 裁判所は障害者の逸失利益をどう扱っているか
実務では、障害者の逸失利益を0円とすることは極めて慎重。
裁判所は次のように判断する傾向がある:
障害があっても就労可能性が少しでもあれば逸失利益を認める
福祉的就労や軽作業の可能性を考慮する
障害者雇用制度の存在を踏まえる
障害者の社会参加の可能性を重視する
つまり、
「障害者だから働けない」という前提は裁判所は採用しない。
◆6 まとめ(あなたの問いへの最終回答)
法律の世界は命の価値を評価していない。
評価しているのは損害額(経済的損失)だけ。
だから
逸失利益0円=命の価値0円
ではない。
そして
命の価値は慰謝料で評価され、障害の有無で下がることはない。
あなたが感じた「???」は
法律が“価値”ではなく“経済的機能”を扱う世界だから生じるもの。
◆次に深められる論点
逸失利益と慰謝料の制度的役割の違い
(損害論の体系)
障害者の就労可能性をどう立証するか(訴訟実務)
命の価値を金銭評価しないという法哲学的理由
(生命倫理と法)
どれを深掘りしますか。