プロの小説家を志しているわけではないのですが、最近は文学賞に興味津々です。文学賞と一口に言っても、芥川賞とか直木賞のような名誉ある大きなものでなくとも、庶民が気軽に参加できるような手頃なものもあると知ったからです。私企業がスポンサーになって、2000文字までの掌編を対象に、賞金5,000円で半月ごとに次々とテーマを変えて開催している『時空モノガタリ』や、文芸誌で毎月やっている原稿用紙5枚制限のショートショートコンテストなどがあるのです。勿論、これらは受賞してもプロ作家にデビューする足掛かりになるほどのものではありません。
人間、なかなか明確な目標がないと第一歩を踏み出せないもので、いきなり十数万文字の長編を書き始めるというのは、誰にでもできるものではありません。それだけ巨大な構成には、豊富な経験が必要です。その点、テーマの決まった小さな賞に自分のペースで挑戦してみるというのは、僕のような社会人のアマチュア作家にはちょうどよい刺激になるものです。より長い小説を書くにあたって、良い練習となるでしょう。
しかし文学賞はアマチュアとプロの世界の懸け橋、そこを渡ろうとすると今までにない風が吹きます。
人にお金を払って読んでもらうプロの文筆家になると、自分の書きたいものばかりを書いて食っていくことはできないでしょう。きっとその時代の読者の求めるものを見抜いて提供し、ときには新しい需要を生んでいかなければなりません。
どうやら文学賞にも似たような性質があるようです。僕も最初は、好きなように書いてそれを認めてもらえれば、賞金がもらえてデビューのきっかけにもなるのかな、と安易に考えていました。しかし少し調べてみると、出版社などが文学賞を開催するには明確な目的があることに気づきます。野に埋もれた新しい才能を掘り起こして新しい本を書かせ、出版社の売り上げに寄与させるためなのです。賞金を渡して、「はい、おめでとうございました」で終わるわけにはいかない。そうなると、その賞の性質、つまりどういった作品に授賞するかというのがある一定の基準に則っているのです。
これにはどの賞にも共通しているものもあれば、出版社の意向(例えば新人女優を主演させるためにTVドラマ化できる作品など)や審査員の志向(例えばミステリーが好きとか、複数の視点から書かれるものを評価しない)など独自のものもあるでしょう。ちなみに共通の基準と言えば、主催する出版社が受賞者に新人作家としてのデビューを期待する以上は、それは今までにない新しいセンスのようです。
作家を養成している関係で、多くの文学賞を分析している若桜木虔(わかさきけん)氏によれば、ある賞を取った氏の弟子の作品が、別の賞では一次選考にも通らなかったことがあるし、その逆もあるそうです。ということは、文章力や発想は勿論のこと、その文学賞における選考の傾向に対しての分析と対策、それに少なからぬ運が要る。運も実力のうちとは言いますが、文学賞をとってやろうと作品を応募するならば、必ずこの傾向を分析し、対策を練ることも実力の一つとして必要になってくるようです。その力はおそらく、デビューした後でも、相手が審査員から潜在する読者数千万人という、より難しいものに取って代わるだけで、やはりプロ作家としてなくてはならぬものになるのでしょう。
僕は基本的に読むのも書くのも掌編や短編が好きなのですが、いつか長編も書いてみたいなあという夢を抱いています。自分の中から生まれてくるアイデアを自分自身の手で満足のいく作品に書き上げるというのは、経験したことがなければ想像もつかないような一入の感慨です。掌編でも胸のすくような思いを味わえることがありますから、きっと長編を書き上げたらもっともっと大きな感動が待っているでしょう。何か一つ成し遂げたという、自分自身に誇れる足跡を人生に残せる。
小説の長編というのは書くだけなら正直そんなに難しくはない(僕も完全な一次創作でなければ文庫本一冊分くらいの話は書いたことがあります)と思いますが、自分のオリジナリティを発揮した傑作を書こうとすると本当に難しいです。小屋も立てたことのない大工見習いがいきなり一軒家を建てられるわけもありませんから、物語もそれと同じで少しずつ長いものを編んでいけるようにしなければなりません。同じ起承転結のある物語でも、131文字のTwitter小説、原稿用紙5枚(大体1500~1800文字)の掌編、原稿用紙20枚程度(5000~7000文字)の短編、中編(文庫本の1/3~1/2程度)、長編(文庫本1冊程度)などなど色々なサイズがある。
今、原稿用紙5枚程度で起承転結のあるショートショートなどを書いて公募に応じていますが、もう少し長いものに挑戦したい。そこで目を付けたのが第1回『藤本義一賞』です。このブログを書いている時点で〆切までは3週間くらいしかないので、第1回は見送るかもしれません。いずれにしても、傾向の分析が必要なので試みたのですが、そこから分かったものには執筆で感じるものとはまた異なる面白味がありました。それをこれから簡単にご説明します。
藤本義一賞は400字詰め原稿用紙15~30枚、文字数にすると1万字弱かという手頃なものです(ちなみにこのブログの記事でもその3分の1はあります)。第1回のテーマは「帽子」。最初はエッセイを少し膨らませたようなちょっといい話を書けばいいのかなと考えました。しかし文学賞であるからには応募するには先に述べたように「主催者」「開催の目的」「授賞の基準」を知らなければなりません。
「主催者」は実質的に故藤本義一氏の奥様の統紀子さんで、「開催の目的」は生前の藤本氏が望んでいた若い世代の発掘だそう(死後に奥さんの枕元に立ったとか)です。それにおそらく藤本氏が亡くなってからも氏の存在が薄れないようにというも、多分にあるのではないかと。
一番分析が難しい「授賞の基準」に関しては、1回なのでまだ受賞作もなくて傾向がありませんが、公式Webサイトには下記のようにあります。
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第1回は「帽子」。 キーワードは必ずしもテーマ(主題)とは限りません。
自由な発想と解釈で個性豊かな作品を お寄せ下さい。
ジャンルは現代小説・SF。未発表の自作に限る。
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応募者に任せるから自由にやってくれという感じですね。主催に関しては奥様の想いが先行しているので、内容が良ければ流儀は問わないといったところでしょう。多分、かなり珍しいタイプの文学賞です。
授賞の基準を決める最も大切な審査員に関しては、藤本氏の知己といった顔触れのもよう。小説以外にも舞台やラジオドラマ、テレビドラマの脚本に、テレビ番組『11PM』の司会に、幅広い活躍をされた藤本氏ですが、テレビ関係者だけあって審査員も放送作家が多い。後は娘でアーティストのフジモト芽子さんに、落語家の桂文枝さん。
審査員の名前を眺めていると、僕が何気なく書こうとしていた先述の、日常のちょっといい話というのはまるで通用しそうにありません。放送作家という職業のことを全く知らなかったので調べてみたのですが、テレビ番組にジャンルは様々あるものの、台本を書いて出演者に演じてもらい、それを大衆に向けて放映するわけですから、あまり偏ったマニアックな内容であったり、小難しく分かりにくい内容を避けられそうです。しかしそれでいて、テレビ番組には常に新しいものが求められ、時代を読む感性がなければいけない。
もし藤本義一さんの奥様が審査員長なら、昭和の高度成長期を舞台に藤本義一さんみたいな男性が活躍する、またはその回顧の話を書けば、ある程度受け入れてもらえるんでしょうけどね。
作家としては素人のフジモト芽子さんや、それに落語家の桂文枝さんがいること、平均年齢がかなり高いこと、ネットで調べた程度ですが藤本義一氏の人柄も考慮すると、藤本義一文学賞のキーワードは「大衆」「懐かしい時代の空気」「義勇」あたりになるのかなと考えて、応募作の構想を練っているところです。
おそらくテーマの「帽子」はカンカン帽あたりのイメージで、昭和を舞台にした懐かしい感じの作品を書いてくる応募者が多いと思うので、あえて21世紀も15年過ぎたこの時代を舞台にして、その中で懐かしい空気を出しながらも新しい時代のために邁進していく人物を描いた方がいいんじゃないかと感じています。「ジャンルは現代小説・SF」って応募要項に書いてあるけど、SFは通りそうにない。
こうやって文学賞を見ていくと、提示されたテーマ以外にも実に様々な課題が浮き彫りになってくるのでした。
さて、肝心の応募作ですが、そもそも藤本氏の著作を一編も読んだことがないので今からAmazonで注文してるような有様です。応募間に合うかな(^_^;)
(長文にお付き合いいただきありがとうございました)