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※ネタバレがあります。

 

 ちまたでうわさの映画『君の名は。』を観てきました。

 新海誠監督の作品の鑑賞は初めてだったのですが、チョークの字の表現や、爆ぜる炎、雲を突き抜ける隕石など、映像にこだわりがあって大変楽しめました。SNSを通して遠くにいる他人の人生を我がことのように垣間見ているとか、遠くにいる人と親密なやりとりができる(遠距恋愛)とか、そういった2010年代の世相を生かした世界観も満喫できました。いい映画です。

 さて、ストーリーがSF風味で好みだったのですが、あまりにも説明されていないこと、隠されていることが多すぎて、『エヴァンゲリオン』や『うみねこの鳴く頃に』のように、推理して、想像で埋めて楽しむための作り、という印象でした(※フォロワーさんによると、サイドストーリーの小説があるらしいけど)。極限まで情報が削ぎ落とされているので、きっと何度も繰り返して観ても新しい発見のある作品です。

 新海誠監督の制作秘話とかインタビューも見たことがないし、過去作品も観たことはありませんが、気づいたことをまとめてみます。

 

 推理し、想像するべきなのは、例えば『奥寺先輩の気持ち』です。

ぱっと見て、奥寺先輩の瀧に対する感情はこのように流れたように見えませんでしたか。

 

 瀧のことは可愛い後輩くらいに思っていた。

→瀧と入れ替わった三葉に惹かれて瀧のことが好きになった。

→しかし本物の瀧とデートしたら(中身が三葉のときと違うので)がっかりした。

→なぜだか岐阜までついてきた。

 

 勿論、実際は違います。こうですね。

 

 「ケンカっぱやい」瀧が少し気になっていたが、心理的に距離が遠かった。

→瀧と入れ替わった積極的な三葉のおかげで、距離が縮まったことで瀧への想いを自覚した。

→しかし本物の瀧とデートしたときに、彼が既に別の女の子を好きになっていることに気づいてしまった。遅かったのだ……。

→それでも、その女の子がどんな子なのか会ってみたくて、わざわざ岐阜旅行まで付いていった。

 

 なぜ奥寺先輩のこの心の動きが分かりにくいか、感情移入できないかというと、明らかにある情報がすぽっと一ヶ所抜けているからです。

 

『(時間的に)物語が始まる前のバイトで、瀧が奥寺先輩のためにケンカしそうになって、客に殴られたこと』

 

 おそらく瀧(中身は三葉)が爪楊枝で悪質な客に絡まれたのは、この前日談に関係しており、悪質な客が瀧が近づいてくるまで待っていたり、わざわざカッターナイフを持ってきていたのもそういうことなんでしょう。前日談として、何があったのでしょう?

 

「ねーちゃん、バイトいつ終わるの?」

「あの、お客様困ります……」

「先輩に何のようですか?なんなら俺が相手しますよ」

「あーなんだてめぇは?!」

「ダメ、瀧君!」

(殴られる瀧)

 「瀧君、大丈夫!?」

「平気っす……」

「ちっ、白けるな。もう帰ろうぜ」

 

 みたいな感じだったんでしょうね。

 ところが次にその客と会った瀧は三葉だったので、三葉には何がなんだか分からなかった、というわけです。その前日談のシーンを完全に省きながら、新海誠監督は“頬のガーゼ”と、奥寺先輩の「ケンカっ早い」という一言、瀧君が三葉の身体に入っているときに美術の時間に机を蹴り倒したあのシーンだけで視聴者に気づけと要求しているわけです。そら難しいですわ。

 今、省略されていることの代表例として挙げたこれに関しては本筋とあまり関係がないのでまだ良いのですが、それよりも下記の5つの省略が問題でした。

 

1.『宮水家の女子が代々、何かしら特殊能力をもっていること』

 (しかし、なんとかさん(名前忘れました;)のせいで起こった火事で、地元の歴史的にその能力の意義が忘れ去られている)

2.『なぜ1のような能力があるのかを一族が不思議に思っていること』

3.『1の能力は隕石の被害を避けるためにあったのだということ!』

4.『宮水家と婿(三葉の父)の軋轢』(一見、迷信と思えるものVS現実)

5.『クライマックスで三葉がぎくしゃくしていた父子関係を乗り越えて父親から理解を得ることで、父親が町長として町民を非難させるシーン』

 

 どれも瞬間的には語られていますが、あまり印象に残りません。1~4を省かなければもっと完成度の高いストーリーになっていたと思いますが、見てもらえれば分かるとおり、どれも三葉サイドに偏りすぎています。先述の瀧がバイトでケンカをしそうになった件にしても、三葉とは直接関係ありません。おそらく両サイドのバランスに考慮しながら、尺の関係でこれらを省いたのでしょう。

 5に関しては、未来の新聞か雑誌かの記事で、町長が町民を非難させたと書かれているのが数秒取り上げられていますが、本来は三葉のかなりの見せ場になったでしょうし、三つ葉を信じて動き出す町長としての父親の格好良さも描かれたであろうシーンでした。しかしこれを最後までやってしまうと三葉たちが助かったことが明確になってしまい、瀧と三葉の再開の感動が薄れてしまいます。

 他にも三葉が髪を切った理由とか色々ありますが、キリがないのでこの辺で。

 

 ここで逆に、個人的には省略しても良かったのではないかと思うところがあります。

 

『入れ替わり後に記憶を失う』

 

 これです。多分、脚本を書いた人(監督?)が『君の名は。』というタイトルと、ラストシーンにこだわったことと、3年という時間のずれがあることに瀧と三葉が入れ替わり生活で気づかない理由付けのためにも残したのでしょうけど、これのせいで全体的にストーリーが混乱しています。

 勿論、大切な人の記憶が消えていく、出逢ったことがなかったことになる切なさと、そこを乗り越えていくというのは本作の大きな魅力ですから、削るわけにはいかなかったでしょう。しかし、削らないなら記憶を失う理由も説明しなければならなかったはずなのです。

 これはタイムパラドックスものにはおなじみの、いわゆる『時間の矯正力(過去を変えようとしても本来の時間の流れに戻される)』という概念なので、慣れている人はすっと理解できるのですが、どういったときに強制力が働くのか、働いたどうなるのかをきちんと示さないといけません。ちょっと古いですが、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』では過去世界で若き日の両親が疎遠になって結婚する可能性が下がると、未来から持ってきた写真に映った息子である主人公が消えていく(両親が結婚しなければ自分が生まれない!)というのがありましたが、あのくらいやらなければならないんでしょうね。


 本作は十代も対象にしているでしょうから、観た人に作品の魅力を十分に伝えるには少し不親切だと思います。2時間じゃなくて2時間半くらいにして、前述の省略部分を丁寧に描いてほしかったなと思いました。良い作品だけど。