片麻痺者の障害像とその理解 ~おなじ言葉で離せない寂しさ~ | WillLaboのブログ

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WillLaboは、東京の両国にある、リハビリスタジオです。
運営しているのは、作業療法士の山田 稔です。
気軽に、ヒゲ先生とお呼び下さい。
靴専門の理学療法士中田 翔が「既成靴の調整」によって、戻りづらい身体を保つお手伝いも始めました。

東京都墨田区両国で自費診療のリハビリスタジオを運営しているセラピスト山田です。

 

昨日、研修会のスタッフと今月の研修会の事前準備をしておりました。

この研修会は、「片麻痺者のリハビリテーションを考え、実施していく上で必要な知識と技術を学ぶ場」として、主に若手の理学療法士、作業療法士、言語聴覚士を対象としたものです。毎月1回、東京工科大学の教室を借りて開催しています。

 

で、この研修会のスタッフと研修会の中身を煮詰めながらよもやま話をしていたのですけどね…(^_^;)

「どうも最近、作業療法士が何考えて仕事しているのかわからなくなっちゃいました。」って、スタッフの作業療法士がいうわけです。

 

セラピスト山田にとって、「片麻痺者のリハビリテーションの目的」は、「片麻痺という障害はあれども、普通に日常生活を送ることが出来てその上でその人なりの幸福感が追求できる人生を送れること」にあります。

もちろん、手足の不自由さが残る方もいるし、満員電車に乗って勤務地に向かうことができなくて職場を変えることを余儀なくされる方もおられます。必ずしも、奇跡のように元の身体や日常生活に戻れる方ばかりではありません。

 

でも、その中で、「あれ?麻痺手がこんなに軽く動くよ!」とか「なんだか最近歩くのが楽になってきてねえ。」なんてお話を聞くと嬉しくなってしまうので、それをエネルギー源として片麻痺の方々と共に機能回復に勤しんでいるのですが。

 

病院に勤務するスタッフとよもやま話しているととっても寂しい気持ちになるのです。

 

「最近の片麻痺の方の傾向は、麻痺の手先の動きはあるのに、腕を上げられなくて実用手にならない方が多いんですよ。」という話を聞きます。

「なんで、そうなんだろうねえ?」と質問するセラピスト山田。

「上肢の治療を理学療法士も作業療法士もやらないからでしょ?!」というスタッフ。

「え??なんで、麻痺手に触らないの?」と僕。

「さあ??そこが僕もわからないところです。だから、みんな何考えて治療しているんだろうなあ?、って思ってしまうのですよ。」とスタッフ。

 

もちろん、リハビリテーションの目標は「日常生活の自立」であって、「麻痺を治す」ことを一義的な目標にはおいていません。寝たり起きたり、立ったり座ったり、歩いたり。台所で家族のために料理したり、買い物行ったり、会社で仕事したり、旅行に行ったり。その状態に回復することが目標です。

しかし、片麻痺者の「上肢」の問題がそれら一連の動作・行動を上手にこなせない要因になるのだとしたら、「麻痺手」が以前どおりに動かなくても、「以前通りの生活」を送るために、「動作に参加」する必要はあると思うのです。上手に歩けない要因が、「麻痺手の重さ」にあるのだとしたら、「麻痺手が重いのはなぜ?軽くするためには何ができる?」と考えたいのですよ。

 

だとしたら、せめて「麻痺手の状態」を考慮して、「麻痺手」の状態がこんなふうに変わったら、目の前の方の生活が変わるかも?って視点で話をしたいと思うのですよね。

 

病院のリハビリスタッフが、やる気がないとか真面目ではないとか言うつもりはありません。むしろ、みんな真面目で素直でいい子達なんです。

「患者さんの笑顔が見たいです。」とか「患者さんのために一生懸命頑張ってます」とかもちろんご本人たちはそう思って日々悩んでもいます。

 

でもね、その気持ちを実現するために、何かしていますか? と、問うた時に、「具体的にはやっていません」なんですよね。

 

すると、そこには「共通言語」がないってことになってしまいます。「目の前にいる、片麻痺の方が呈している現象を、どのように理解して、どのように、何を目標に、治療してみようか?」というのが研修会の方針なのに、「やる気はあっても実際の行動には移さない」という理学療法士や作業療法士には、きっと僕の言葉は届かないのだろうな、って、思うと寂しいなあって感じます。

 

「実際に行動に移せない」方がいけない、とも思わないし、「ダメだ」とも思いません。

それぞれの人生はそれぞれのものだし、どのように生きていかれようと、仮にその方向が僕とは違うものであってもそれは当たり前のことだとは思いますよ。

しかし、こと、「障害者のリハビリテーションという職域を選択した同じ職種」の方であればどこかで接点が見いだせないかな?って思いますね。

 

セラピスト山田が、「全ての答えを知っている」わけでもないし、「すべての解決策を持っている」わけでもありません。でも、「一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に解決策を探してみる」、ことはできます。

 

「地球の人類はみな同じ言語を話している」という研究記事を見つけました。

https://www.telegraph.co.uk/science/2016/09/12/humans-may-speak-a-universal-language-say-scientists/

 

同じ言葉で話しているはずなのに、言葉が届かないもどかしさ。

 

リハビリ専門職間での共通言語を見出し、「リハビリテーション」という職種が、障害を負われた方にとって期待するに値する存在であると感じてもらうこと。

それが、この世の中に、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士がいる必然性につながるはずです。

 

何か、取ってつけたようなお題目で自分たちのアイデンティティーを確立するのではなく、「リハビリ受けて本当に良かったよ!」と心の底から思ってもらえるような仕事をすること。これしかないと思うのですけどねえ。