ある一日ですが、朝六時から、ラジオ英会話を流し続けます。
子育て支援の児童館の始まるまでの時間に、「今日は、あったかいね!黄色のお話可愛いね」と言葉が話せないうちから、私の独り言のように、子どもに、話かけながら通っていました。
お昼には、スーパーで買い物も済ませて、自宅近くの公園で、レジャーシートを広げてみたり、ベンチに腰掛けてみたりして、ピクニックです。
頃合いを見計らって、家路につき、そのまま、陽のまだ明るい時間に、お風呂時間です。
ミニサイズの乳酸菌飲料やプリンの空き容器に、メモリを付けておいて、お風呂でお水あそびを始めます。
子どものちっちゃい体に体積の感覚がつきます。
私は、小学生で、既に学力的にも遅れが出ていますので、もう必死で、自分が学ぶのが楽しいのです。
そんな私と子どものお風呂の中では、ロシア語で「石鹸とって」「頭洗おうよ」「今日も、楽しかったね」って単語をならべて、子どもに話しかけていました。
湯船では、ロシア語で、一から十まで数えていました。
先にお話しをしたように周囲のお宅はの個性的な、住人が今、この窓の向こうに居てもおかしくはなかったのです。 日常の家庭では、ロシア語単語を並べる会話です。
私と、息子、娘の会話には、日本語とロシア語の混合になります。
お行儀面に重きを置くときと、食事をしながらでも会話ができるように、単語の読みをいたるところおいていました。
さて、食卓と言えば、お金がなさすぎて、ふりかけご飯や塩コショウパスタの食卓も満腹感を持たせるためには当たり前に出しました。 おやつが、かつお節だったり、いりこだったりすることも普通にありました。
ジュースは、牛乳です。
どうやっても、生活費が足りずに、やりくりが下手なのだろうかと思っていました。
どうにかやってきたのでしょうね。
時折、実家や祖母から届く、市販のおやつが最高。
今思うと、単に収入が少なすぎているだけなのですが、それでも、子どもが入園までは良かったのです。
お金がかからないことで、周囲の年収が自分の年収です。
この頃までは、そうはいっても、楽しかったのです。
主人は、仕事で早朝、夜は12時前に帰宅します。
そう、ハードワークです。
手取りに直結するので、サービス業で、自宅にはおりません。
子供たちの休日には、父親の姿はありません。
しかし、子供たちには、不在時の父親の存在は大きかったです。
子どもたちを連れて、父親の働く姿が自然に見える所へ連れ出していました。
この数年前までは、子どもたちにとっての父親に「尊敬」しかなかったと今では話してくれます。
「年収200万でも豊かに暮らせる」なんてタイトルを見つけると、読み漁っていました。私が稼ぐ方法も挑戦しました。自宅のパソコンで入力の仕事をさせて頂けるチャンスがありました。
未就園児の息子を抱いたまま打ち込みをしていたり、腕が疲れて、そのまま横になり、息子と寝過ごしたことも幾度もあります。
子どもの年齢があがり、仲良くしていたママ、子どもさんは、2人目の懐妊でこの児童館やサークルを離れたり、年少クラスに入園されました。
先のお話し、お世話になっていた、無料や安価な児童館を卒業します。
年少クラスの1年間に、勝手にキッザニア疑似体験も、フリーペーパー配布したり、上の子どもだけが私を独占する時間を作りました。気候の良い時は、「僕もお仕事!」って可愛かったです。しかし、お腹が空いてきます。トイレも。お昼寝の時間になると大変でした。
私が外に働きに出るきっかっけは、長女の幼稚園後の預り保育の利用条件の為からです。
「就業が条件」 それでも、なお、娘の入園までは、毎日がとても楽しかったのです。
預り保育でそのままお友だちと遊びたいと希望「就業が条件」で、私は外に働きに出る事にしました。
その後、小学校に入学しても学童保育を希望するのですが、またも「就業が条件」 しかも、記入欄が厳しくなっています。就業時間が厳しいのです。 当然なのかもしれませんが、「ただ身体休ませる時間」は、入れてはいけないのです。ハードワーク後に、お迎えで、心身がズタズタになっていきます。
長く、私の優先する仕事時間をさせて貰えた理由のひとつが、「歩合給」なのです。
普段は、良いのですが、夏休みなどの長期休暇は、悲しかったです。開始時間に合わせて、お弁当をもたせます。お弁当を見せあい、先生方も、言葉にされます。日中は、檻の中。そろでも、檻で、学年別の通信講座が蒼く見えたようでして、市販のドリルは、持たせました。年齢別の子どもゼミなんて、家計で捻出できません。私が勤務帰宅後に、書店へ行きます。子どものお気に入りのドリルを、子ども自身で選ぶ。気に入るドリルと、帰宅後に、手抜きですが、食事の事。そんなに事を、していたら、グルグル眼がまわる…。
どうしたことでしょう。 お水に戻りたい魚のように、身体が違和感を覚えるようになりました。
満足とさえ思って、やり方が違うだけ。 家も仕事もあって。職場の人のことも嫌いじゃない、なにより、かわいい子どもたちもいるって、本当に思っていました。
学生時代から、ワープロ必需の私が、パソコンすら無い生活を何年していたでしょうか。
見かねて、自作パソコンをプレゼントして貰えした。
上の子どもを抱っこして、入力の仕事を体験した時にも、「ダイヤル回線」という状態でした。
※ダイヤル回線 電話回線を使って通信。使った分だけ、通信代金を支払う。
かれこれ、何年の月日が流れたのでしょうか…。
子どもの成績が良いと知ったのは、入学して、いや、上の子どもが小学2学年の頃です。
今気づくと、入学までに、同じ小学校になる家庭とのお付き合いがありませんでした。
ですから、個人差があるでしょうから、よその子どもさんの成長がわからないままで何も心配はありませんでした。
利用させて貰った、児童館などでは、似た価値観の方しかおられなかったので、またも、衝撃を受けました。
私に、だけ ある違いなら、将来的に、塾の費用をどう、捻出しようということでした。
戻りますが、小学2年生の頃に、「また、○○点のテストを持って帰ってきた」「え〜っ、いいな。うちは、○○点で…」って、知り合いのママがお友達ママらしい方との会話が、聞こえてきました。
どうも、いつも点数は、同じくらいの様子です。
私が衝撃だったのは、言うまでもありません。
「最近のテストは、褒める教育なのかな❓ゆとり教育って、丸を誘導するテストにしてくれているなんて、有り難い」って思っていました。
というのも、後に、学年トップクラスが当たり前のご家庭と出会うまでは、不思議でなりませんでした。
敢えて塾なしでも、成績は良いのです。しかし、子どもの成績の上位が当たり前になると、母も子どももお付き合いしてくださる家庭との差が目の当たりになります。
身を置く環境って大切です。
一緒に過ごす、人って、本当に、本当に大事で、私のままを受け入れて貰える世界は優しさだけです。
生活圏内の話に戻りますが、一方で、私や子どもたちの周りのご家庭は、学習塾通い、塾の送迎、夜食や、他の家族の食事などなど、大変そうでした。この頃には、多くのママのような働き方をしていないことは、とても肩身が狭く感じました。塾のお月謝を捻出出来ない家計ですので、子どもたちは、「塾に通いたい」「学校で塾の宿題をしたい」って大変でした。やはり、蒼く見えていますよね。それは、高校進学の進路で、子ども自身が最近感じています。