はじめまして。ワークライフスタイリスト®Jr認定講師、ビューティーライフダイアリーアドバイザーのNAOです。 
今の私をお話しします。

・家事はやりたいときにやりたい範囲だけ
・私のやりたい育児のみしています
・子供に叱ったことは沢山あります
・母の私から偏差値72に育つのです
・短時間勤務からはじめて、約10年間勤めた職場を転職し、
 平成30年から、12時間拘束(実労働時間7時間)の副業禁止フルタイムで週4日勤務中です。
・私のワークライフスタイルについては、職場での仲間には毎日褒めてもらえていますが、
 組織からは、理解はして貰えているようですが、受け入れられていません。
 例えば、出勤時間や、有休の相談をしたときには、その印象を強く感じます 。

それまでの、およそ10年間の暮らしを書きおろしました。

平成11年 長男出産 
平成16年 長女出産 

夫婦と子ども2人で、既に築年数不明の借家です。

家付き土地のような、中古家屋が好きだったのですが、とはいえ、桟からガラスがずれて、虫の出入りが自由でした。お水専用のシャワーのお風呂です。

吐き出しの廊下のレールが外れていて、外からのは見えないように、内側から、錠前を数か所に付けていました。
隣の借家の生活の声は当たり前ですが、聞こえます。

お向かいの老夫婦のお宅からは、毎朝毎夕に、
夫「金出せ!」の大声
妻「あげたでしょ!」の甲高い声 

ある時に、急用で、通常いない時間に家に戻っ時に、騒然としました。
な、なんと、このお隣のご主人が、我が家の廊下のガラスの桟の隙間から、屋内を覗いているではありませんか。

後にお話しする、老女の娘さん一家が、中古物件へ引っ越されてからは、野放しに人通りがありませんでした。番犬もとい、番人もいない。

裏のお宅は、長期出張の独身40代男性の住まい。
数ヶ月に一度、母親が彼氏さんとお掃除に来られていました。

通常は、留守宅なのでまだ良かったのですが、在宅時の恐怖。
後にお話しする、お隣の老女と、その娘さんの幼馴染でした。

在宅時は、明け方近くまで、夜通しのテレビゲームの音。
日に日に、女性に成長する娘を持つので、引っ越しをどれだけ切に願い、家購入も、単なる引っ越しも延びてしまいました。


先に登場した老女、お隣の老女のお宅は、番犬いや失言、番人。 

我が家がカーテンを開けると、二メートル離れたお隣の廊下で、老女の姿があるのは、日常茶飯事でした。

老女は、幼稚園のお孫さんの送迎や、小学校低学年のお孫さんの帰りが待ち遠しかっただけなのですが、私からからすると、おかしいくらい我が家の番人のようでした。 

老女は、子どもの学年のおばあちゃんにあたることがわかり、お孫さんに当たる一家もまた、同じ借家に暮らしていいました。

娘さん一家のお子さんの放課後をずっと預かっておられました。
大家さんが直ぐそばでお宅を構えておられ、老女と娘さん家族と中年独身の幼なじみ。 

この関係性が、意味不明の安心に繋がって、直ぐにその集団借家から引っ越す選択が鈍ってしまいました。
かれこれ、7年もの歳月を

その六畳と四畳半に、ダイニング、キッチン、脱衣場兼用のスペースに、全自動洗濯乾燥機と食器洗い乾燥機に、食卓と、食器棚という暮らしをしていました。  




我が家の収入は、収入の幅が広いので当たり前なのですが、平均年収を下回っていました。

平均収入の一覧に載っていないのです。


公営住宅を余裕で利用できる収入にもかかわらず、私は、子どもを育てるのに、住宅の周囲の環境だけは、どうしても譲ることができずに、学校や幼稚園などが整っている、地域の中でも、特に、こだわりました。

(当時の選択肢の公営住宅の環境は、「ウキッ💕💕💕」感が皆無でした💧)


しかし、成長期の子どもの1番良い時期に、私史上最悪の住宅で暮らすことになりました。


それでも、息子の入園までは、支出を少なくすることが楽し過ぎました。


今朝の電気メーターを記録したり、夜中は、室内電気のブレーカーを落としたり(笑)
トイレに、お風呂の残り湯を運び、流したり(笑)
夏は、明るいうちから、お風呂にお水をはったり(笑)
楽しんでいました。

老夫婦が「絵に描いた鯛を見ながら、食事をして、大好きな鯛を食べた気分になる」と話すのを聞きましたが、それは、私には、無理でした。(笑)


公共の図書館や児童館などを格安や無料で利用して、息子のママ、娘のママを全身で楽しんでいました。 
主人のお弁当のおかずと合わせて、私や子ども達の三食も一緒につくりおきをして、一日中遊んでいました。 

ある一日ですが、朝六時から、ラジオ英会話を流し続けます。

子育て支援の児童館の始まるまでの時間に、「今日は、あったかいね!黄色のお話可愛いね」と言葉が話せないうちから、私の独り言のように、子どもに、話かけながら通っていました。  

お昼には、スーパーで買い物も済ませて、自宅近くの公園で、レジャーシートを広げてみたり、ベンチに腰掛けてみたりして、ピクニックです。  

頃合いを見計らって、家路につき、そのまま、陽のまだ明るい時間に、お風呂時間です。  

ミニサイズの乳酸菌飲料やプリンの空き容器に、メモリを付けておいて、お風呂でお水あそびを始めます。
子どものちっちゃい体に体積の感覚がつきます。 
私は、小学生で、既に学力的にも遅れが出ていますので、もう必死で、自分が学ぶのが楽しいのです。

そんな私と子どものお風呂の中では、ロシア語で「石鹸とって」「頭洗おうよ」「今日も、楽しかったね」って単語をならべて、子どもに話しかけていました。 


湯船では、ロシア語で、一から十まで数えていました。 
先にお話しをしたように周囲のお宅はの個性的な、住人が今、この窓の向こうに居てもおかしくはなかったのです。 日常の家庭では、ロシア語単語を並べる会話です。
私と、息子、娘の会話には、日本語とロシア語の混合になります。

お行儀面に重きを置くときと、食事をしながらでも会話ができるように、単語の読みをいたるところおいていました。 

さて、食卓と言えば、お金がなさすぎて、ふりかけご飯や塩コショウパスタの食卓も満腹感を持たせるためには当たり前に出しました。 おやつが、かつお節だったり、いりこだったりすることも普通にありました。
ジュースは、牛乳です。

どうやっても、生活費が足りずに、やりくりが下手なのだろうかと思っていました。
どうにかやってきたのでしょうね。 

時折、実家や祖母から届く、市販のおやつが最高。  
今思うと、単に収入が少なすぎているだけなのですが、それでも、子どもが入園までは良かったのです。
お金がかからないことで、周囲の年収が自分の年収です。
この頃までは、そうはいっても、楽しかったのです。

主人は、仕事で早朝、夜は12時前に帰宅します。
そう、ハードワークです。
手取りに直結するので、サービス業で、自宅にはおりません。
子供たちの休日には、父親の姿はありません。

しかし、子供たちには、不在時の父親の存在は大きかったです。
子どもたちを連れて、父親の働く姿が自然に見える所へ連れ出していました。
この数年前までは、子どもたちにとっての父親に「尊敬」しかなかったと今では話してくれます。 


「年収200万でも豊かに暮らせる」なんてタイトルを見つけると、読み漁っていました。私が稼ぐ方法も挑戦しました。自宅のパソコンで入力の仕事をさせて頂けるチャンスがありました。

未就園児の息子を抱いたまま打ち込みをしていたり、腕が疲れて、そのまま横になり、息子と寝過ごしたことも幾度もあります。


子どもの年齢があがり、仲良くしていたママ、子どもさんは、2人目の懐妊でこの児童館やサークルを離れたり、年少クラスに入園されました。 

先のお話し、お世話になっていた、無料や安価な児童館を卒業します。
年少クラスの1年間に、勝手にキッザニア疑似体験も、フリーペーパー配布したり、上の子どもだけが私を独占する時間を作りました。気候の良い時は、僕もお仕事!」って可愛かったです。しかし、お腹が空いてきます。トイレも。お昼寝の時間になると大変でした。


私が外に働きに出るきっかっけは、長女の幼稚園後の預り保育の利用条件の為からです。


「就業が条件」 それでも、なお、娘の入園までは、毎日がとても楽しかったのです。
 預り保育でそのままお友だちと遊びたいと希望「就業が条件」で、私は外に働きに出る事にしました。 

その後、小学校に入学しても学童保育を希望するのですが、またも「就業が条件」 しかも、記入欄が厳しくなっています。就業時間が厳しいのです。 当然なのかもしれませんが、「ただ身体休ませる時間」は、入れてはいけないのです。ハードワーク後に、お迎えで、心身がズタズタになっていきます。

長く、私の優先する仕事時間をさせて貰えた理由のひとつが、「歩合給」なのです。
普段は、良いのですが、夏休みなどの長期休暇は、悲しかったです。開始時間に合わせて、お弁当をもたせます。お弁当を見せあい、先生方も、言葉にされます。日中は、檻の中。そろでも、檻で、学年別の通信講座が蒼く見えたようでして、市販のドリルは、持たせました。年齢別の子どもゼミなんて、家計で捻出できません。私が勤務帰宅後に、書店へ行きます。子どものお気に入りのドリルを、子ども自身で選ぶ。気に入るドリルと、帰宅後に、手抜きですが、食事の事。そんなに事を、していたら、グルグル眼がまわる…。 
どうしたことでしょう。 お水に戻りたい魚のように、身体が違和感を覚えるようになりました。 


満足とさえ思って、やり方が違うだけ。 家も仕事もあって。職場の人のことも嫌いじゃない、なにより、かわいい子どもたちもいるって、本当に思っていました。 

学生時代から、ワープロ必需の私が、パソコンすら無い生活を何年していたでしょうか。

見かねて、自作パソコンをプレゼントして貰えした。

上の子どもを抱っこして、入力の仕事を体験した時にも、「ダイヤル回線」という状態でした。

※ダイヤル回線 電話回線を使って通信。使った分だけ、通信代金を支払う。

かれこれ、何年の月日が流れたのでしょうか…。


子どもの成績が良いと知ったのは、入学して、いや、上の子どもが小学2学年の頃です。
今気づくと、入学までに、同じ小学校になる家庭とのお付き合いがありませんでした。

ですから、個人差があるでしょうから、よその子どもさんの成長がわからないままで何も心配はありませんでした。


利用させて貰った、児童館などでは、似た価値観の方しかおられなかったので、またも、衝撃を受けました。

私に、だけ ある違いなら、将来的に、塾の費用をどう、捻出しようということでした。 

戻りますが、小学2年生の頃に、「また、○○点のテストを持って帰ってきた」「えっ、いいな。うちは、○○点で…」って、知り合いのママがお友達ママらしい方との会話が、聞こえてきました。

どうも、いつも点数は、同じくらいの様子です。

 

私が衝撃だったのは、言うまでもありません。

「最近のテストは、褒める教育なのかなゆとり教育って、丸を誘導するテストにしてくれているなんて、有り難い」って思っていました。 

というのも、後に、学年トップクラスが当たり前のご家庭と出会うまでは、不思議でなりませんでした。

敢えて塾なしでも、成績は良いのです。しかし、子どもの成績の上位が当たり前になると、母も子どももお付き合いしてくださる家庭との差が目の当たりになります。

 

身を置く環境って大切です。

一緒に過ごす、人って、本当に、本当に大事で、私のままを受け入れて貰える世界は優しさだけです。

 

生活圏内の話に戻りますが、一方で、私や子どもたちの周りのご家庭は、学習塾通い、塾の送迎、夜食や、他の家族の食事などなど、大変そうでした。この頃には、多くのママのような働き方をしていないことは、とても肩身が狭く感じました。塾のお月謝を捻出出来ない家計ですので、子どもたちは、「塾に通いたい」「学校で塾の宿題をしたい」って大変でした。やはり、蒼く見えていますよね。それは、高校進学の進路で、子ども自身が最近感じています。