仕事をしだしてから、頻繁に人生の意味について考えるようになった。
その前からもちょくちょく考えてはいたけれど、仕事をする日としない日しかなくなってから、
特にこの疑問がずっと頭の中にいる。
結局のところ、結論の出る疑問ではないため、毎回ただぐるぐるして終わりである。
人生に意味なんてないから。
仮に自分の人生に意味があるといっている人は、そう思い込んでいるに過ぎないと思う。
天命だとか運命だとか、後から自分で意味づけを行っているだけで、実際にそれが人生の意味
なのかどうかは定かではないと思う。現時点で運命でも、3年後くらいにはそうではなくなっているかもしれない。
だから、現時点では人生の意味みたいなものが見えているかもしれない状態、に過ぎない。
ただ、そう思い込めることが非常にうらやましい。嫉妬するわけではないが、とても尊敬する。
さぞかし人生が楽しく、幸せだろうと思う。
私の場合、ただ生きているだけになっている。別に死のうとおもっていないし、仕事を辞めたいとも思わない。
あれこれ経験してきて、精神的にはある程度達観できるようになっているらしく、仕事は仕事としてめんどくさいと
思いながらもやれるし、多少つらいことがあっても、だからと言って死ぬのは早急すぎるだろうと思える。
しかし、人生が面白いものだとも思えていない。退屈に殺されそうという表現があるが、まさにそれである。
この状態の一番の問題は、人に聞いても大体同じ答えしか返ってこないこと。
いろいろなものをやってみればいい、そんなに深く考えなくてもいい、楽しくてやりたいと思っていることは誰にだってある、
くらいしか言われない。ほぼこれらのことを何となく言われて終わりである。
そもそも、人生について深く考える人は少ない傾向にあるように思える。
経験上、人生の意味について考えていると話すと、全員がそんな深くは考えたことがないと答える。
退屈だとか暇だとかは思うらしいが、人生の意味がなんなのかについては一所懸命に考えないらしい。
大抵、仕事がつらいだとか、休日にやることがないだとか、日々が充実していないだとか、自分の今の状態を
友達に話したいという意欲が強く、自分の人生そのものについて本気では考えていないらしい。
私も時々人生について考えながらも、結局なあなあに生きられるような感性であればよかったのだが、
生き方が下手なせいか、常に意味について考えてしまう。
悩んでも仕方ないのだが、悩まなければ一時の快楽に身をゆだねて日々を浪費するだけの生活を過ごすことになってしまい、
そっちのほうが状態でいったら悪いように思える。
今日もまた、それらしい本を読みながら、それらしく悩んだふりをして、何も案が浮かばないまま、終わりそうである。