僕は、人間の強さを信じてる。

誰かが簡単に説明するほど人間は残酷な生き物ではないと信じている。

存分に裏切られてきた信仰ではあるが、其れを投棄してしまうのは"間違い"であると頭の中の誰かが言うんだ。

何かこう柔らかくて強い光の様な雰囲気のもの。

決断の際に降りてくる強さは、誰かによって簡単に説明されるほど簡単なものではないと思うんだ。

難しい現象について簡単な言葉で説明するのは確かにプレゼンとしては正しい。

けれど、それはあくまでその人自身を目立たせる際に用いられるモノであって現象については端折られすぎていて結局のところ理解なんかできていない。言語による完璧な理解なんてのは言語の理解しか可能にしない。

現象について理解するのは科学でもなければ言語でもない。

まーこうして断言をしてしまうのは知識を愛するものとして些か知的怠慢とも捉えられるけどそういう事ではないんだ。

確かに言語に落とし込んだり、分からないものを分かるようにする事は良い事だと思う。

けれど、それで理解したと思い込むのはミスリードであると思うんだ。

故に、人間はこんな生き物であるだとか、~さんはこうだとか、何かについて兎角批評したがる人間の言葉に左右される必要はないと思うんだ。また、僕のこんな言葉さえも批評の一種であることは否めないね。

毒を以て毒を制すではないけど、僕らの認知の礎に言語があるのだから仕方がないね。

コギトエルゴスムではないけど、君が生まれたから君の世界は創られたんだ。

その世界を君自身がどんな風に捉えようが、創造主である君の勝手ではないだろうか。

勿論、自分に甘い所謂自己中心的な考えと時に揶揄されようが挫折したならその都度解釈図式を正せばいいわけだし、抑々挫折を感じるのって自分の見てきた世界を自分または誰かによって否定された時じゃないのかな。

貫いてやればいいのに。勿論、そのせいで誰かが悲しんでいるようなら君が捉える世界はそんな穢らわしいものなんだねって思う迄だ。

誰かをこけにして生きていく、そんな世界を少なくとも僕は望まない。

また自分だけが得をするような世界も、ウンザリだ。全てが僕を中心にして回ってくれるのは嬉しいかもしれないけど、その陰で誰かが苦労していると知ったら僕もまた喜んで苦労を引き受けたいと思う。

知らないことは弱いから、愚かにも悪意または無知の籠った色んな言葉に翻弄されてしまう。

けど、君が心から信じたい言葉があるのなら其れを信じ貫くのは粋だなって思います。

 

僕も頑張るから、君も達者でな。