今になって高校時代の親友の死を知る | たーぼーの写真日記

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応援している秋元順子(AJ)さんはじめ歌い手さんのことや季節の話題等々写真とともにお届けします。

高校時代、最も親しかった友人が亡くなっていたことを今になって知りショックを受けている。それも亡くなったのが30年ほど前とは・・・。書けば長い話しになるが、彼とは高校時代一緒に演劇部を立ち上げたり、同じ女の子を好きにったり、旅行に行ったりと思い出は尽きない。

それが私の結婚式の出席をドタキャンして以来々に疎遠になったのが始まりだった。彼は高校在学中より演劇や歌の世界を目指していた。当時の私はギターでコード伴奏くらいは出来たので『おい!伴奏してくれ』と頼まれてレッスンらしきこともしばしばやった。誰だったか忘れたが歌のレッスンに教室まで付き合わされたこともあった。

当時は五木ひろしの初期の作品が多かった。高校在学中より劇団若草に所属して演劇の勉強をしていくうち、あの江利チエミの付き人を経て唯一の愛弟子として昭和51年レコードデビューを果たした。

曲は『月曜日にはブルースを』

作詞 杉紀彦、作曲 猪俣公章 

編曲 高田弘ダウンダウンダウン
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ジャケットのキャッチコピーには「江利チエミの最初で最後の愛弟子」とある。

私も当時チエミさんの事務所に遊びに行くうち今はなき新宿コマや梅田コマ劇場での公演を見て頂き、さらには舞台写真を撮り舞台写真をパネルにしてプレゼンしたら事務所に飾って頂いたこともあった。

(そのネガが実家にあるはずだが不明)

その彼の芸名は「江高マモル」。そう、江利チエミの「江」、高倉健の「高」から名づけられたものだ。シングルデビューを果たしたもののその後の結果はいまひとつ。

結局、その後は水商売の世界へと。その頃からの消息も分からなくなった。

時折、彼はどうしているんだろう?などともう一人の友人と話題にすることはあったが、手がかりもなく、気にかかっていた。それが彼のことをふと思い出して、ネットで検索してみると、ある江利 チエミフアンのブログ の掲示板に彼の名前を発見、驚いた次第だ。これもネットのお陰である。