
秋は夕暮れ。
さて、「いなくなれ」というか「この野郎~。死ね、惨たらしく苦しんで死ね。ってかカワマタグンジみたいな奴に一家諸共通り魔殺人されろ。」と念じていたら本当にいなくなった話〈その2〉です。
体の弱い妻を関東に残して大阪に単身赴任で、私が単身赴任する前の年の夏辺りから妻の体の調子が良くない期間が多くなり、私の単身赴任中にもどんどん悪くなっていきました。
義母はお姉さん夫婦(子供2人)で暮らしていましたが、お姉さんと旦那さんは定年退職した後で軽井沢の方(軽井沢ではない)に移住していて、義母は横浜の郊外のマンションに暮らしていて、私の単身赴任中に妻は義母の下に身を寄せていました。
死んだ妻の体が弱いというのは、数日間から長い時で10日間ぐらいトイレに行くのも困難になり、私が抱え上げてトイレに連れて行くみたいな、誇り高い女性なので下の世話というか尿瓶等で世話をして貰うことは絶対に拒否していました。
私の単身赴任中というか、単身赴任が終わっても結局は同居することはありませんでしたが、年老いた義母との生活でどうしていたのかはわかりません。
単身赴任中の私の苦悩は隠していましたが、たまに新幹線に乗って会いに行くと私がどんどん細くなっていく姿を見ていて、そのことで妻の心労が重なる悪循環が続けていました。
身長171.5cm体重62kgだったのが、体重57kgウエスト60~62cmで高校2年生の秋にサッカー部を辞めて以来の出臍状態悪いなる寸前まで痩せていきました。
所長YTがやらかしていなくなったところまでは良かったのですが、「評価する人間がいなくなったから昇格も昇給も無し」ということでぶち切れて、「体が弱い妻を残しての単身赴任でわかりやすい数字で結果を出してメリット何も無しなんてやってられません」と退職届を提出し、新たな所長は良い人で私をキチンと評価してくれている人だったので「退職届預かり」という形にしてくれて、「後任が決まって、その後任が現場を回せるようになるまでいてくれ」ということで、半年後に本社に戻ることになりました。
ちなみに後任は半年足らずでギブアップしました。
物流関連というか倉庫の仕事なので半期に1度棚卸しがあるのですが、私が元々本社でしていた時は棚卸しの差異がせいぜい5万円程度だったのが、私がいなくなったら差異が30~40万円程度出るようになっていたので、私は元の鞘に収まることになりました。
私がやったら差異は3~4万円程度になりましたが、私は1度退職届を出していて会社の実質的な支配者の部長にも「テメェふざけんな」「カワマタグンジみたいな奴に一家諸共殺されろ。」等と暴言を吐いて楯突いていたので、昇格も昇給も無しでほどほどにしか仕事をしていなくて、同じグループ会社で今は合併している会社の社長と部長が私の会社に入ってきて、私の会社で結果を出している社員を出向という形で順次引き抜いて行くようになりました。
先ず引き抜かれたのは大阪で糞野郎の後の後任の所長だった人です。
その人は後任の所長を1年間務めましたが家庭の事情で本社に戻っていて、出向してその部署で頑張ってくれたのでもう2人出向させようということになり、そのうちの1人が私でした。
通関業者で社員5人以上に5年以上通関士試験を受けさせていても誰も受からず、通関士資格を持った社員が高齢化していていずれ枯渇するということで、団塊ジュニアの何処の大学の何処の学部学科を受けても倍率15倍以上を勝ち抜いてMarchに滑り込んだ私の学力も見込んでのことでした。
たまたま前の年の出向の「し」の字も無いときに「倉庫関連の資格無いかなあ」と検索したら通関士がヒットし、4ヶ月ぐらい猛勉強したら関税法と通関法は合格基準点を満たし実務問題は3点満たずに不合格になっていて、部長と野球の話をしていたら何かの流れで通関士試験の話をしたことがきっかけでした。
3点満たずにというと「惜しい」ような感じですが、かなり運が良かったという面も多々あります。
先ずは通関業を覚えるということで出向して保税蔵置場に働くことになりましたが、「通関士試験が終わってから」という話で進んでいた話が当該保税蔵置場の所長の「今すぐ(6月)」という要望を部長がいなすことが出来ず、6月から転勤の出向ということになりました。
出向前の仕事は私が巧く段取りすることで必ず定時で終わるようにしていて、勉強時間を捻出出来ていましたが、出向したら毎日3時間以上の残業と土曜は全て出勤。
残業代で潤いはしましたが、勉強時間を捻出出来なくなりました。
結果は通関士試験全科目合格基準点に満たず。
考えてみたら「出向してきた奴が通関士試験に受かったら自分の上の立場になるかもしれない」ということで、妨害するために通関士試験(10月最初の日曜)の後での出向を全力で阻止したのでしょう。
早期の出向が通関士試験への妨害だったことは後々わかったことですが、その所長はパワハラ体質で長く働いている社員を呼び捨てで怒鳴り口調で、私へも当然のように怒鳴り口調でバカ扱いをしてきました。
よっぽどの仕事の天才ならいざ知らず、1ヶ月や2ヶ月でマスター出来る仕事では無いにもかかわらず、無能馬鹿扱い。
「この野郎~。死ね、惨たらしく苦しんで死ね。」と念ずるようになります。
出向しなければ誰にも何も言われずにストレス無く仕事していて、横浜からは遠い成田への出向転勤ということと、死んだ妻は死期が近いと悟っていたこともあり「これ以上負担をかけたくありません。好きだから貴方(私)には幸せになって欲しいから別れてください。」ということで離婚して自暴自棄になっていたこともあって、期待してくれていた部長に退職届を出して所長の所業を全て暴露しました。
その結果かどうかはわかりませんが、パワハラ所長は平社員としてグループ会社でも無い会社に出向することになりました。
糞野郎はいなくなるけど、私もいなくなるみたいなあまりよろしくない結末・・・
所業を全て暴露したから、この話は「念じたから」ではないかもしれないですね。
「カワマタグンジみたいな奴に一家諸共通り魔殺人されろ。」なんて1度しか口に出していませんし、心の中で思うことも今では無いです。
これが 中国武漢ウイルス禍前年の{「いなくなれ」と念じていたら本当にいなくなった話}②です。