今日も朝から冷え込むな・・
外気は4℃クラウディ・・ サブっ
車に乗るときってエンジン付けてエアコン全開で
暖めてから乗るよね?
え?FW30 には関係ない?
そりゃオープンカーですから(笑
昨日までで中嶋一貴ってF1ドライバーがどんなヤツかは分かってもらえたようなので?
今日はウィリアムズとの略歴に触れていこうか。
ウィリアムズのガレージの左側はロズベルグ家によって受け継がれているが、2008年には右側に、同様に親子でF1と深い縁があるルーキードライバーが入った。
そう、みんなもご存知、ウィリアムズの新人、中嶋一貴がF1に参戦したのだ。
一貴の父、中嶋悟は、1987年にロータスに加入してアイルトン・セナのチームメイトに抜擢された日本人初のF1フルタイムドライバーである。
いわゆるサラブレッド。。ヒヒン
中嶋悟は、F1で5年間のキャリアを積み、1991年に引退、その後チーム運営にかかわるようになった。
中嶋悟がF1を引退した頃、一貴はわずか6歳であった。
一貴はその頃にはすでに海外在住というセレブ気取りだったんだな。
父がフォーミュラ・ニッポンのチームオーナーとして優れた育成手腕をふるう姿を目にしながら、1990年代末から2000年代にかけてPIAAナカジマレーシングが立て続けにタイトルを獲得するのを間近で見ながら成長した。
一貴はまるで当然のことのように、弱冠12歳でカートレースにデビュー、以後5年間カート競技を継続する。
一貴はデビュー3年目にして鈴鹿フォーミュラICAカートチャンピオンになったんだ。
その後も活躍する一貴はトヨタにスカウトされ、トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラムのスカラシップを獲得した。
一貴はこの日本のメーカーに育てられ、最初のシーズンでフォーミュラ・トヨタのチャンピオンとなった。
意外とスゴいんだ一貴は。
このシリーズはカート競技からF3へのステップアップとして位置付けられているため、一貴はシリーズの優勝者として、翌年の全日本F3選手権に出場することになった。
初のF3には慣れるまで時間を要したものの、シリーズ5位、さらに優勝2回という記録を出した。
2005年にはシリーズに再挑戦し、順位を2位まで上げた。
やる気はあるんだな。意外と。
F3ユーロシリーズに参戦するため、2006年にヨーロッパに移り住む。
21歳の子供がすることではないが勇気は評価したい。
一貴は、イギリスへの移住、英語の学習、新しい生活への適応といった数々の難題に対処しながら、ドイツのノリスリングからフランス ル・マンのサーキットに至るまで、ヨーロッパ中を転戦し、ヨーロッパでF1シーズンを戦う際に必須となるサーキットに関する知識を学んだ。
2007年には、引き続きトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラムによるバックアップのもと、これまで数多くのF1選手を輩出していることで名高いGP2シリーズに参戦した。
2006年11月にウィリアムズによる詳細な分析による高評価を受け、ウィリアムズのテストドライバー兼リザーブ(3rd)ドライバー契約を獲得した。
GP2では5回連続の表彰台を記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得。
同時にF1では、オーストラリアGPでサードドライバーとしてデビューを果たし、以後5回にわたってGPに出走してボクの兄であるFW29の開発のため7000kmのテスト走行をこなした。
年末には、ブラジルでのシーズン最終戦で、引退するアレクサンダー・ヴルツの代わりに指名を受け、F1デビューを飾り、今年はFW30こと、このうぃりあむずの背にまたがり、レースをこなしたのだ。
振り返ってみると、中嶋一貴って意外とタフなんだな・・
ちょっと見直した。
・・チョットだよ