A高校の英語科では、毎年、3年生による英語劇の発表会がありました。
シェークスピアの作品を英語劇でやるのです。
2年生になって、スタッフとして英語劇にかかわることになりました。
私は、字幕担当になりました。
与えられた部分を訳して、その内容を字幕用のシートに手書きするという内容です。
スタッフとしてかかわるようになり、時々、3年生の英語劇の練習風景を見ることがありました。
わたしは、1年生の時に英語劇をみて、思う事がありました。
その時の3年生の先輩は、
「お気に召すまま」
という喜劇をやったのですが、
いくら字幕が付くとはいえ、
後ろに座っている人たちからは、見えにくいため、
物語の進行は、演じている人たちの、表情や声の抑揚、ジェスチャーで見ていくしかありません。
しかし、英語科の人たちは、英語の勉強や会話は出来るけれど
演劇の訓練は、したことがない人たちばかりです。
当然、声の抑揚もなければ、ジェスチャーもあまりない。
見ている方は、何が、起こっているのか分からないから、
面白いとも思えない。
案の定、客席で寝ている人もいました。
折角、前年度から数か月かけて用意してきたのに、
これでは、勿体ない
という感想を抱きました。
その年の先輩は、
「ハムレット」をやりました。
シェークスピアの三大悲劇の一つです。
さて、練習風景をみて、私は、
このままでは、前年の二の舞かもしれない。
と、感じました。
なんとかした方がいいとは思いましたが、
先輩たちとは、ほとんど交流がない2年生の私が、いきなり意見を言っても、
聞いてもらえるどころか、もしかしたら、目を付けられたりするかもしれない。
そう思うと、なかなか、行動に移しづらいところがありました。
幸いなことに、1年生の時に担任だったL先生が、
英語劇の指導をしていました。
L先生に渡したら、その意見を指導に入れてくれるかもしれない。
そして、授業でL先生に会うので、
わたしは、レポート用紙に改善点を書いて、
こっそりと、授業の後にL先生にそのレポート用紙を渡しました。
しかし、L先生は、いい意味でも、悪い意味でも外国人でした。
日本の、先輩後輩の事情があまりよくわかっていなかったようです。
わたしが、なぜ、そういう意見をL先生にこっそり渡したのか、
理解していなかったのです。
ある日、授業で、
「後輩が、先輩に意見をいう事は、素晴らしいことです」
と、わたしが、先輩の英語劇について意見を出したことをいいました。
わたしは、なんという事をしてくれるんだ。
と、焦りました。
もちろん、その意見のレポート用紙は、そのまま、3年生の先輩の手に渡っていました。
3年生の中で、劇の監督をやっていた、N先輩が、私のところに来て、
「月城さん、意見を言ってくれてありがとうね。すごく、助かったわ。」
と、明るく言ってくれました。
後輩である私が、意見を言うなんて、
おこがましいにも程があるのに、
わざわざお礼まで言ってくれるなんて
有難いことです。
ああ、心の広い先輩たちでよかった。
と、私は、ホッと一安心をしました。
そして、発表会当日。
先輩たちの演技が見違えるほど変化していました。
見ている人たちは、
面白いシーンでは、笑い
悲しいシーンでは、お嗚咽が聞こえて
中には、涙を流している人もいました。
もちろん、劇は、大成功
割れるほどの拍手喝采でした。
さて、来年は、私たちがこのステージに立ちます。
私たちも、こんな風に拍手喝采を受けることが出来ればいいな
と、来年の自分たちの英語劇に思いをはせるのでした。