最初こそ、希望に満ちて高校入学しましたが、

私は、友達の輪に入っていく事が出来ずに、

ずっと、一人でいました。

 

折角、楽しい青春を思い描いて

高校生活をスタートさせたのに、

また、3年間も一人でいなくてはいけないと思うと

憂鬱になりましたが、

 

卒業したら、海外の大学に行ける。

そうしたら、日本人だけじゃなく、世界各国の人たちと友達になれるし、

アメリカに短期留学をした時みたいに、楽しい日々を過ごすことが出来る。

そう思う事で、何とか自分を保っていました。

 

それまでの私は、学校の友達と仲良くするという機会がほとんどなかったせいか

自然な会話をするという事が分かりませんでした。

 

本当に不思議なのですが、習い事ではちゃんと友達がいたし、

普通に話して、一緒に帰ったり、仲良くすることが出来たのに、

 

学校の友達とはなぜか、うまく話せないのです。

 

そんな私ですから、クラスの子たちから、変わっている人だと思われていた上に、

校則を守っていて、先生たちの評判が良かったので、

いい子ぶりっこをしているように映ったかもしれません。

 

中学の頃みたいに、面と向かって、

罵詈雑言を言ったり、

触ったら、逃げ出すといったいじめを受けることはないものの、

 

冷たい視線を痛いほど感じてはいましたし、

私の事をなんとなく避けている人もいたのは感じていました。

 

しかも、担任のL先生とクラスの子たちは

全くなじめずにいたのに、

私の事は、気に入ってくれていました。

 

ただ、えこひいきをする先生かといえば、それは、違います。

 

愛情があったからこそ、

良くなってもらいたいという熱意があるからこそ

普通なら、見ないふりをする先生がいる中、

叱ったりするのですが、

クラスの子たちには、それが、伝わっていなかったようです。

 

L先生は、厳しい先生でした。

English Dayで、少しでも日本語を話すと、

“Speak English”

と、言って、言いなおされるし、

 

各学級でボランティア活動をするのですが、

それを、1994年の内戦で大量虐殺があったルワンダに学校を建てようと

言い出して、生徒たちの意見を聞かずにそのボランティアを進めてしまうのです。

 

「人を助けるには、必ず犠牲や痛みを伴わなければいけません。」

と、常々、話していました。

いかにも、キリスト教的な教えですが、

私は、その考えには、共感していました。

しかし、中には、反発していた人もいたかもしれません。

 

極めつけは、

美容系やファッション系の専門学校を希望している人たちに対して、

 

「英語科なのに、どうして挑戦せずに、楽な方にいくのですか?」

と、お小言をいう事です。

 

確かに、L先生の言いたい気持ちはわかるのですが、

その点に関しては、かなり思い違いをしていると思いました。

 

美容系やファッション系を目指している子たちは、

最初から、スタイリストやヘヤメイクアーティストになりたいという夢がある子たちでした。

なぜ、英語科に入ったかというと、英語力を身に付けて、海外で仕事をしたり、

A高校の英語科卒という肩書で、多少の箔をつけたい。

というのが、理由です。

 

さらに、毎日、学校の帰りにカラオケやら何やらで、

遊んだり、無駄遣いをしている子たちがいると勘違いしていて、

そのことに、ついても、何やら注意めいたお小言を言っていました。

 

 

 

流石に、思い違いでお小言を言われて、

無駄に、クラスの空気が冷たくなるのはこちらも居心地が悪いので、

 

わたしは、職員室にL先生を訪ねて、その内容を話すことにしました。

 

30分くらい、座って話したでしょうか。

 

L先生は、納得したようで、

 

それ以降は、進路や、放課後の過ごし方について

お小言を言うことはなくなりました。

 

そのおかげか、クラスの雰囲気は少し良くなったように思います。

 

その後もしばらく私は、1人でいましたが、

3年間クラス替えがないということは、多少のメリットがあります。

 

それは、時が過ぎるにつれて、

私の事を理解してくれて、前ほどあたりが強くなくなっていきます。

 

わたしは、おかしいと思ったら、先生に意見をいう事もありました。

もちろん、学校で、鬼の〇〇子といわれた、保健室の先生と言い合いをしたこともあります。

 

そういうところから、いい子ぶりっこだという印象から、

 

人付き合いが苦手で変わってはいるけれど、

裏表がない人間であることを理解してくれたようです。